こちらの真鶴のしとどの窟も風情がある。
頼朝が石橋山の敗戦で命からがら房総へと船で逃れる際に身を隠した場所と言われてます。
ほんの小さな岩屋です😃でも、歴史のロマンを感じます。
治承4年、伊豆国で源氏再興の挙兵をした源頼朝公ですが、相模国へ軍を進めたもの三浦一党の軍との合流が出来ず、逆に、石橋山で大庭景親・伊東祐親らの平家軍に囲まれて敗れてしまいます。
石橋山の戦場から土肥郷椙山に逃れた頼朝公は、箱根権現を頼りますが、土肥郷(現在の湯河原町)に戻って土肥実平に頼りに、真鶴 岩海岸より船出して安房へ渡って再起を図ります。
このとき源頼朝公が鵐窟に隠れ潜んだ場所と云われていますが、二か所あります。
こちらと土肥郷椙山(現在の湯河原町鍛冶屋)の山中あります。
また、源頼朝公ともに逃れた安達盛長、岡崎義実、新開忠氏、土屋宗遠、土肥実平、田代信綱の主従七騎も一緒に隠れ潜んだと伝えられており、後に「源頼朝七騎落」といった能の演目としても演じられるお話しとなります。
湯河原町鍛冶屋の山中の「しとどの窟」は行くだけで一苦労、山道で大変ですが、真鶴の「しとどの窟」は波で削られて短くなったり、関東大震災による土地の隆起で現在の高さ・短さになったそうです。
そのため、海岸線の道沿いを車で前まで行くことができます。
目の前は漁港で賑やかで隠れられる場所ではなくなっています。
昔作られた洞窟。
気になるスポットです。
魚座の近くにあります。
源頼朝が隠れてたみたいです。
源頼朝が石橋山で破れたあとにこの洞窟内に潜み船で安房の国に逃れたところ。
外から眺めるだけで洞窟には入れません。
🅿️駐車場無し。
治承4年(1180年)8月、源頼朝は石橋山で大敗し戦場から辛うじて脱出。
真鶴半島から安房へ逃れようとしたときに身を隠したのがこの窟とのこと。
頼朝が窟に入ろうとした時、しとど(鵐)が舞出たことからの命名だそうです。
自転車で真鶴半島へ行きました。
頼朝の時代には海岸にあり100m以上ある洞穴だったようです。
その後な海蝕で短くなり関東大震災で隆起して今のようになったとのことです。
昼ご飯をこの近くで海鮮丼を食べました。
新鮮な魚がたくさんのっています。
ここにある「しとどの窟」に身を忍ばせても直ぐに発見されそうですね😅 人工的に造られた雰囲気です!後世に作造した赤色の太鼓橋 と野草が不思議とマッチしていました✨
観光でいたことあります。
🐨⭐⭐⭐⭐⭐🌈
湯河原の山中のしとどの窟と比べるとずいぶん規模が小さいが、こちらの真鶴のしとどの窟も風情がある。
Интересное историческое место.
名前 |
しとどの窟 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0465-68-2543 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.hakone-geopark.jp/area-guide/manazuru/033shitodonoiwayamanazuru.html |
評価 |
3.7 |
道路沿いにあるのですが、ちょっと分かりにくく通りすぎてしまいます。
標識も有りますが注意していかないと駄目ですね……