名前 |
一夜堤の跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.0 |
天正12年(1584年)4月9日、長久手の戦いで徳川家康に敗北を喫した豊臣秀吉は、伊勢長島城の織田信雄を脅かし、家康を誘い出そうと図ったそこで信雄方不破広綱の居城竹ヶ鼻城に攻めこんだ竹ヶ鼻城は東側に木曽川の支流足近川につながる逆川が流れ、堤防が築かれていたそこで秀吉は、城の北から西、南へかけて半円形に約3kmに及ぶ、高さ約3m、幅約25mの堤を築き、そこに足近川の水を引き入れて城を水攻めにすることにしたこの堤は突貫工事で作られた為「一夜堤」と呼ばれた現在は碑があるだけで、当時の面影はわかりません。