文字通り見晴らしの良いステキな公園になりました。
今はみはらし公園という公園に整備されています。
城としての遺構はあまり残っていません。
強いて言うなら公園端の墓場から神社にかけて郭っぽい面影がある程度です。
公園としてはふわふわドームやバスケットコート、芝すべりのできる斜面があり幼児から中高生まで楽しめます。
また、紫陽花、梅、芝桜が綺麗なので犬を連れて散歩するのも楽しいです。
以前は畑しかない城址で、歴史好きだった自分はよく小学校の帰りに登っていましたが、今はキレイに整備されて、文字通り見晴らしの良いステキな公園になりました。
山頂で土器の破片を見つけたことがあったので、桃井城以前から歴史がある土地だと思っていましたが、まさか前方後円墳があったとは驚きでした。
古くから人の生活があっただけでなく、この地域の中心であった可能性もあり、ロマンを感じてしまいます。
晴れた日の赤城山・榛名山は最高です。
新月の夜に星景写真を撮影したいですね。
とても綺麗に整備され、赤城山・榛名山などとても綺麗に見えました。
遊具は一カ所しかないですが、とても眺めがよく春夏秋冬行っても楽しめそうです。
防衛省の補助金を受けている防災公園のようです。
ここで自衛隊ヘリや輸送機を見るのも映えそうで良いかもしれません。
春は北風が強いですが 梅が咲く頃は見ごたえあります。
見晴らしが良いです❗赤城、榛名山と一望出来ます。
暖かい日にベンチに座ってぼーっとするのも良いかも。
古墳の上に築かれた城跡です。
現在は公園となっており、きれいに整備されています。
大藪城山古墳の後円部分に位置する高台に有る城址です吉岡町教育委員会の、案内板が設置されており一緒にUPしました「南北朝時代、この地に生まれ、足利氏ゆかりの武将桃井直常が居城を築いたところと伝えられ、桃井城又は大藪城といわれ・・・」城山みはらし公園の最頂部にもなります。
遺稿はないけど郭は何となくありました。
公園になっています。
トイレもありました。
見晴らしもいいし整備もされていて、時々ドライブがてら散歩させてもらっています。
なによりトイレがキレイで本当に嬉しい!地元の方々が清掃して下さっているんでしょうか…本当に感謝です!災害対応の自販機も2ヶ所にあるし、水道もあちこちに設置してくれています。
素晴らしい城址公園です。
たまに夜、車のライトをつけたままバスケ?している方や騒いでる方がいるのを見ますが、周りに住宅が多いので迷惑ではないのかな…とは思います。
地元の憩いの場。
こう言う公園あるだけで良い町だと思う。
景色は最高、公園近くの幼い子供の遊びがもう1つ合っても良いと思う。
遊具も少しあり、子供と遊んだり散歩するには、ちょうど良い場所、トイレもキレイで広かった。
高台に在るので眺めが良い。
まだ、出来たばかりなので植木や芝桜がなじんで成長すれば綺麗です。
名前のように見晴らしは最高です。
バスケットコーナ、ヘリポート着陸場所設置、ふわふわドーム小さい低学年の児童には最高の遊びですね。
その昔、こちらの殿様には子がありませんでした。
奥方ともども寂しさに耐えかね、どうか子供をお授け下さいと、水沢の神社にお願いしたところ、玉のような男の子が生まれました。
殿様も奥方も、この男の子を慈しみ、男の子はスクスクと成長しました。
ところが、ある日突然、この子は両親に告げました。
「実は私は人間の子ではなく神の子なのです。
これから天に帰らなければなりません」殿様も奥方も驚きましたが、男の子は二人の止めるのも聞かず、水沢の神社の方へ走り去ってしまいました。
殿様と奥方が急いで馬に乗り、あとを追って行くと、神社は燃え盛る炎に包まれていました。
そこから上がる煙に乗って、我が子は南の方へ行ってしまいます。
「父上様、母上様、どうか私の後を追わないで下さい」と手を振りながら…それでも二人が追ってゆくと、広馬場というところまで来たとき「ここでお別れです」と言って、黒髪をプッツリと切って二人の方へ投げ、見る間に天へ駆けのぼってしまいました。
そこが今の黒髪神社だといいます。
以上は伝説ですが、史実では桃井城の殿様は桃井直常となっています。
直常は足利幕府の武将でしたが、足利尊氏が弟の直義と対立したとき、直義側の猛将として戦い、一時は勝利を得ます。
その後、尊氏の反撃で直義が捕らえられ、幽閉されて亡くなっても屈せず、旧敵だった新田の残党とも結び、あくまでも幕府に反旗を翻しました。
HKの大河ドラマ「太平記」では、高橋悦史さんが演じてました。
あの桃井直常が榛名山麓の出身であり、城も構えていたとは知りませんでした。
いまは公園として整備されている最中のようで工事中でした。
城跡は赤城榛名を一望する高台にあり、眺めは素晴らしいですが、とにかく寒くて…(^_^;)赤城颪が真っ向から吹き付けていました。
なお、すぐ近くには直常と夫人のお墓と伝えられる供養塔もあります(^_^ゞ
南北朝動乱ではゴリゴリの直義派として活躍をした桃井直常が隠居後に滞在していたってのは、ホントなんだろーか。
近くには直常夫妻を供養したと言う五輪塔もある。
こないだ久々に城趾へ行ったら、造成らしき工事が入っていた。
郭の跡とかどーなっちゃうんだろ。
史跡としての整備なら嬉しいが。
⇒謎の工事のその後が気になったので、再訪。
丘の麓一帯を住宅地として造成しているようだ。
丘の頂にある城址掲示板と目印の老木周辺はフェンスが設けられ、周囲には緩やかな階段や遊歩道とおぼしき径が整備されている。
伝桃井直常ゆかりの城址公園として生まれ変わるのか。
はたまたお散歩が出来るただの眺めの良い丘になってしまうのか。
見極めねば。
南北朝動乱ではゴリゴリの直義派としてギンギンの活躍をした桃井直常が隠居後に滞在していたってのは、ホントなんだろーか。
近くには直常夫妻を供養したと言う五輪塔もある。
こないだ久々に城趾へ行ったら、造成らしき工事が入っていた。
郭の跡とかどーなっちゃうんだろ。
史跡としての整備なら嬉しいが。
名前 |
桃井城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
桃井城址は現在吉岡町城山見晴らし公園になっていました。
関越自動車道駒寄りインター近くにありました。