桐生にこんな立派な寺院が有るとは。
オリジナル朱印帳は何と「畳」。
市内の畳屋さんとのコラボで本物の畳を使用しています。
ミニ畳もかわいい🍀
新桐生からバスで30分弱、バス停から歩いて5分程、立派な山門に出会えます。
戦国武将の由良成繁の墓所があります。
古刹ですね。
静かな境内山門も立派。
静かで見処の多いお寺様、ゆっくりお詣り出来ました。
御朱印も快く書いて頂きました。
静かで落ち着いた場所です。
願い事地蔵在りまして、私も宝くじ祈願してきました。
歴史を感じさせるお寺です。
雰囲気がすごく良いです。
桐生七福神巡りのお寺です。
毘沙門天が奉られています。
御朱印頂きました。
桐生の殿様のお墓が有り、桐生の一番古いお寺でした。
こちらには戦国時代、上州に大きな勢力を張った由良成繁の墓所があります。
もとの名は横瀬成繁といい、金山城の岩松氏に家老として仕えていましたが、戦国の風雲に乗じて主君を城から追い、みずから城主となりました。
先祖は、もともと新田四天王のひとり、由良具滋であったので、名を由良成繁と改め、戦国大名として独立しました。
それからは、武田上杉北条の大勢力と巧みに距離を持ちながら領地を拡大。
最盛期には、東は館林足利、西は伊勢崎、北は桐生までを手中に収めました。
成繁よりも知られているのは、その妻だった輝子です。
夫が金山城を息子の国繁に譲り、桐生城に移って没すると、輝子は出家して妙印尼と名乗りました。
その後、北条氏が小田原城に国繁を捕らえたまま、金山城の明け渡しを求めて来襲すると、71歳の高齢でありながら、息子に代わって籠城の指揮を取り、ついに城を守り抜きました。
77歳のとき、豊臣秀吉が小田原城を攻めると、孫の貞繁を押し立てて、みずからも秀吉方として参戦。
小田原落城後は、その働きを賞されて、新たに常陸国牛久に領地を貰い、由良家の名を残しました。
まさに上州カカア天下のお手本?のような女性と言えるでしょうか(^_^;)
上部は広大な普通の墓地。
観光は下に停めた方が良い。
見所ある立派なお寺だが、御朱印欲しかったが誰もおらず呼び出しも無し。
桐生にこんな立派な寺院が有るとは。
御朱印 頂きました。
The temple is quite far from the centre of the city, but the old stone steps and wooden gate make for a great photo opportunity.
茶室 聴松庵
名前 |
桐生山鳳仙寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0277-32-1177 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.2 |
写真は山門前の参道です。
シンとした雰囲気がとても心に沁みてきました。
暫く佇んで居られます。
御朱印も書いていただき、気持良くご対応いただきました。