源頼朝が再起を期してこの浜から房州に向けて船出した...
岩海岸で夏は家族ずれの海水浴は目がとどく小さな海辺で穴場です、今は波うちぎわを歩くのも静かで最高です‼️
岩海岸は、私が社会人になって東京から小田原の会社務めとなり、取引先のバイク屋さんが私達のために海に入り魚介類を取ってきてくれてドラム缶で料理してくれた場所でした。
あれから65年くらい経つたでしょうか、海は全く青く、そらは全く青く!とても静かで綺麗な海でした。
35年ぶりに来ました。
あの夏の日も今日のような猛暑でした。
泳ぎたい。
石橋山の合戦に敗れた源頼朝公が、安房に向けて船出したと伝えられる海岸です。
ここ真鶴の岩海岸から頼朝七騎が安房へ落ち延びました。
海岸の傍には「源頼朝開帆碑」も建てられています。
この先の安房の地で、上総介広常や千葉常胤の軍を引き連れて、鎌倉入り、富士川の戦いでの勝利へと歴史が動いていきます。
それが出来たのが、この静かな長閑な浜からの船出が決めてだったとは、なかなか信じることは難しいです。
立派な石碑があるのですが。。。
真鶴町岩海岸から1080年房総半島に船出した場所です。
真鶴駅から普通の服で散策できるスポットです。
近くには如来寺の洞窟があり、その場所にも源頼朝一行が潜んでいたと考えられる場所があります。
稚児神社とともに散策にもってこいです。
駐車場有り(有料)シャワー有り3つ(無料)通常は海の家有りライフセーバーも待機していますがここ2年程コロナで閉鎖、自己責任で水遊び出来ますが駐車場閉鎖されています、砂浜と岩場が別れていて両方楽しめます、岩場ではサザエ等も沢山いますが採ってはいけません、砂浜は割とすぐに深くなる印象です、水質はまあまあ、熱海位かな?その日のコンディションによります、周りには自販機が2台ほど有る位で食べ物屋等は有りません、小さな海水浴場ですが穴場スポットだと思います。
石橋山合戦で敗北し、再起を期すべく房州へ逃れるために船出した海岸である。
後に頼朝公は鎌倉幕府を興したわけで、この船出の浜はその起点となった。
石橋山の合戦に敗れた、源頼朝が再起を期してこの浜から房州に向けて船出したと書いてありました。
岩海岸から源頼朝が船出!?(゜ロ゜)
治承4年(1180年)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、房州に逃亡する際に船出したと伝えられるのが岩海岸で、「源頼朝開帆碑」が建てられています。
頼朝が此処から無事に船出できたことが、その後の歴史を大きく変えました。
追手から逃れて、岩海岸から船出。
名前 |
源頼朝船出の浜 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
『鎌倉殿』東方向に房総航行中🏃🏊房総の山々が見え、波も穏やかだ🎵此なら頑張ってみようと思えたのかも🙌『浜印』❓を小田原城前の小田原市観光交流センター(カフェの隣り合わせ)で購入🎵