尾張旭市渋川町3「直會神社」矢田川に架かる印場橋下...
直會神社(直会神社) / / .
尾張旭市渋川町3「直會神社」矢田川に架かる印場橋下流から上流の眺め。
矢田川右岸堤防の北側が渋川町3になり、直會神社は中学校の西側に鎮座しています。
境内に聳える大きな樹々は堤防からも直ぐに目に付くものです。
訪れたのは2020/12/9、玉垣には大祭を知らせる赤い幟と癌封じ祈願と書かれた白い幟がたなびいていました。
社頭の眺め。
右側に社号標と手水舎、社務所。
手水舎と龍口。
儺追(なおい)水と呼ばれ、後方に解説が記された碑がある。
神殿域。
広い境内の東側の一画が一段高く盛られ、大きな樹々の下に社が祀られています。
神明鳥居の先に石段が付けられ拝所へ続く。
鳥居左にも社号標こんもりとした杜ですが重く澱んだ印象はなく、風の通りもよく陽の空間。
切妻、妻入りの社殿で、本殿が祀られた部分を除き吹き抜けになっています。
拝所から本殿域。
神社額は本殿域に掲げられています。
土間全体に御影石が敷き詰められ、鏡の様に周囲の景色や光が映り込み明るい印象を受けます。
こちらの神社、幟にもあるように癌封じの御利益があるそうで、祭神は神直日神と大直日神。
「僅かな賽銭・大きな祈願」家族全員分をしっかりとお願いする。
拝所右側のお祓い石「昔から直會神社は腫物、吹出物などの治療に効験あらたかで、神殿の前にある小石で患部をさすると治ると云われていきました。
(小石を持ち帰り、患部をさすり、治ったら、その小石を左側の納所へ戻す)神殿前に御祈祷した黒い小石を置きましたのでご利用下さい。
現在では腫物の中でも癌が一番関心を集めています、癌予防、治療を含めて癌封じにご利用ください。
笑う門には福来るといいます、落ち込みかけた心を笑いの力と信じる気持ちで吹き飛ばしましょう。
心より応援します。
直會神社 澁川神社」こちらの神社に神職は常駐していません、ここから北に鎮座する澁川神社が管轄されているようです。
鳥居左の解説676年(白鳳5)に天武天皇の大嘗祭が行われ、その悠紀斎田がこの地(尾張國山田郡)にあったと伝えられる。
大嘗祭とは、天皇が即位したあと、その年に取れた米などを神様に供える祭です。
その米は占いによって定められた田んぼで大切に作られました。
田んぼは都より東を悠紀斎田、西を主基斎田と区別して呼んでいた。
直會神社は、悠紀斎田での収穫をお祝いして神様に供えた、お酒や食べ物などの御下がりを頂く「直會」という儀式跡に建てられ、祭神は、罪や穢れを祓う神直日神と大直日神。
この神社にお願いすると、体の穢れ、腫物やできものが治るとされ、「のうらいさま」「にょうらいさん」とも呼ばれ親しまれている。
遠方から参拝に訪れる方もあり、名古屋市昭和区紅梅町や守山区森孝新田には直會神社への道標仏も建てられています。
直會道と呼ばれた嘗ての道筋も、区画整理と共に失われました。
毎年、3月と12月の第1日曜日には直會神社の大祭が行われ、植木市や露店が参道にたち賑わいを見せる。
また、お神楽やお神楽や市指定無形文化財の打ち囃子も奉納される。
神社の創建時期は斎穂社と同時期の676年(白鳳5)頃とされる。
1891年(明治24)頃の地図を調べてみる、澁川神社の印は見つかるも「直會神社」は記されていない、形態はともかく実際に鳥居が記されるのは昭和に入ってからでした。
直師夢想東軍琉棒の手の碑と二つの境内社。
碑文は「古くは村落自衛の為、武者修験者に授けられてきた棒術が神楽芸能として変わっていく時代の文化文政年間、森下理右衛門が出来町蓬師範のもとで修業、代々にわたり在中地区農民に伝授、文政四年「直師夢想東軍琉棒術目録」を授け、農民の手で相伝され現在に至る。
昭和三十二年、尾張旭市棒の手として愛知県無形文化財、同五十一無形民俗文化財として再指定される。
」奥の二つの社は詳細不明。
中腰で覗き見れば御札から分かるやもしれない。
境内南奥から社殿を横から眺める。
社殿半分がポッカリと開き吹き抜けになっているのがよく分かる。
穢れを払い、禍を直す神を祀る「直會神社」「直會神社」創建 / 676年(白鳳5)祭神 / 直日神(神直日神、大直日神)住所 / 尾張旭市渋川町3
渋川神社参拝時に、帰りに立ち寄りました。
御朱印は、渋川神社でいただけます。
名前 |
直會神社(直会神社) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0561-51-3038 |
住所 |
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関連サイト |
https://www.aichi-jinjacho.or.jp/search_detail.html?id=2c11599e-372c-4bf5-b9fc-583c5d8c6a52 |
評価 |
3.8 |
散歩コースの途中にある神社です。
ガン封じと書いてありました。