広い境内、子供の遊具もある鎮守様です。
御祭神 品陀和気命(応神天皇)末社 八坂神社 神明宮 石神社 琴平宮 菅原神社 稲荷神社 諏訪神社 塞神社 白山神社由緒建久年中(1190~1198)京都の石清水八幡宮より、新田義重が勧請しました。
別当瑠璃山大方坊薬王寺(現在は上江田分)は、新田氏族江田兵部大輔行義公(1330年代活躍。
鎌倉攻めに参戦している)江田郷(赤堀は江田郷の内)に住し、これを管理する新田氏累代の崇敬社となりました。
本村の乾の方向(北西)にありましたが、安永年間(1772~1780)の間に廃絶し、その後現在の地に建立されました。
天明四年(1784)名主役場で火災が発生し一社の記録が焼失しましたが、獅子頭のみ焼失をまぬがれました。
(境内御由緒書より)新田氏の祖源義重は新田荘下司職に任じられ、保元二年(1157)に新田荘を領有し開発に力を尽くしました。
その際に領内の八ケ所へ八幡社を勧請して守り神としたと伝えられています。
赤堀八幡宮はその一つです。
太田市指定重要無形民俗文化財「赤堀八幡宮の獅子舞」例年10月中旬の日曜日に、伝統の獅子舞が奉納されています。
獅子頭には元禄年間(1688~1704)の墨書があることから、この当時から行われていたと推察されます。
法眼・雌獅子・雄獅子の獅子頭を三人がかぶり、白の襦袢水玉模様の衿、紺の手甲、草履履きで盛装し、鳥居前で両端に万燈を立て、三つ巴になり庭廻りという踊りを笛・太鼓・唄に合わせて威勢よく踊ります。
この踊りは、「ささら子」と言われ、十二・三歳の子供が演じ、社前でも踊り、奉納します。
奉納舞が終わると大人に代わって村廻りとなります。
村の中央墓地にある万日堂前で祖先に村内安全を祈り、本郷・下地区・上地区の順に万燈を先頭に笛・太鼓を叩きながら廻ります。
万燈は色紙を割竹に飾り付けて、中央上部に4面を和紙で張り、「五穀豊穣」「村内安全」などと書き、廻り終えたら解体して悪魔よけとして集まった人達に配っています。
(太田市公式HPより)
名前 |
赤堀八幡宮 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
広い境内、子供の遊具もある鎮守様です。