旧上磯部村、西上磯部村の鎮守です。
参拝をして御朱印を授かりました。
御朱印は咲前神社にて頂けます。
裏の公園内にひっそりとあるもっと目立つようにすればいいのに。
磯部駅から真っ直ぐ北に歩くとこちらの神社へ辿り着けます。
磯部温泉街にあります、御朱印は咲前神社様で。
恋人の聖地になりました。
17時からライトアップしています。
縁結びの神社。
裏手は温泉会館と河原。
磯部温泉に泊まったら、朝のお散歩にぴったり。
磯部赤城神社主祭神 大己貴命 豊城入彦命 磐筒男命配祀神健御名方命 八坂刀売命 品陀和気命 奥津比古命 奥津比売命 豊受比売命 菅原道真公 宇気母智命 経津主命 須佐之男命 崇徳天皇 大山祇命 火雷命 八衢姫命 大日霊命 八衢彦命 火産霊命由緒当社は平安期の元慶年間(877~885)創建と伝わる古社で、旧上磯部村、西上磯部村の鎮守です。
明治期に上磯部村字諏訪辺諏訪社、字向山諏訪社、西上磯部村字杉木八幡宮、字寺前白山社、字荒神竈社等が合祀されました。
磯部温泉に鎮座していることから、明治以来多くの文人が当社を参詣しました。
岡本綺堂の大正六年(1917)発表作「葉桜まで」には春祭の様子が描かれています。
「明日はいよいよお祭で、今夜は宵宮だというので、町の家では軒ごとに提灯をかけた。
近在からも花見がてらの参詣が多いのを見越して、町もおのづと景気づいていた。
」本殿の裏手には、有名な詩人の歌碑が並んでいます。
北原白秋、若山牧水、室生犀星、萩原朔太郎や、磯部温泉出身の大手拓次の碑もあります。
昭和四十年代には、温泉地らしく境内の小動物園で猿鹿熊などが飼育されていました。
現在は神池に鯉が放たれ公園も兼ね、菊華展などが開催されています。
八月の磯部温泉祭では、源泉で神事の後、御輿の渡御と夜には花火大会が行われ、境内を埋め尽くすように露店が建ち並びます。
又、当社には中野谷出身の算学者、高麗多一氏の明治二十年奉納「算額」がありますが、損傷している為、昭和五十二年(1977)に有志により復元算額が奉納されました。
芸能として、秋畑村より伝授の柳葉流獅子舞が、秋祭に当社境内並びに新寺旧諏訪社跡(合祀社)で奉納されます。
又、当社蔵に「式三番人形」があり、これは字金井八幡社(合祀社)の芸能で、演技は途絶えています。
(「鷺宮咲前神社HP」及びサイト「日本すきま漫遊記」より)明治から大正期にかけて活躍した児童文学者の巌谷小波が「舌切り雀の伝説」が伝わるという磯部を訪れ、舌切り雀の昔話(日本昔噺)を書き上げました。
おとぎ話自体は各地に昔からありますが、巌谷小波が児童文学として現代に残したことにより、磯部温泉は「舌切雀伝説発祥の地」とされています。
また、赤城神社の鎮座する磯部詩碑公園内には「日本最古の温泉記号」の記念碑が立てられています。
これは、江戸時代初期の万治四年(1661)、付近の農民の土地争いに決着を付けるため評決文「上野国碓氷郡上磯部村と中野谷村就野論裁断之覚」が江戸幕府から出され、その添付図に磯部温泉を記した温泉記号が二つ描かれていたものです。
専門家が調査した結果、この温泉記号は日本で使われた最古のものと判明。
こうして磯部温泉は「温泉記号発祥の地」となりました。
(安中市HP、Wik、及びブログ「古今東西 御朱印と散策」より)
10月20日(日)に、赤城神社の秋季例大祭が盛大に行われました‼️恒例の磯部の獅子舞が奉納されました。
老若男女が大勢来ていました。
綿飴、輪投げ、グランドゴルフ⛳️、等多数のゲームや、お赤飯が振る舞われました。
毎年、春と秋に執り行われています🎵
咲前神社で御朱印がもらえます。
桜が満開で綺麗でした。
4月14日にお祭りがあるようです。
大貴己命をお祀りした神社で小さなお社です。
神社自体は良い雰囲気なのですが公民館やホテルがすぐそばにあるのが残念。
社格や歴史がどうのこうのということはないが、磯部の町を見守る氏神様として、小さいながらも味のある神社である。
裏には公園があり、文学碑がたくさん建てられているのだけれども、正直なところビッグネームはあまりいなくて、居たとしても当地磯部に関係が深いともいえなかったりして、特殊な興味のある方(私とか)以外は、見に行きなさいとはお勧めしかねる。
名前 |
赤城神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-381-2726 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.3 |
神社、公民館、詩碑公園、子供用遊具、鯉のいる池とこちらに固まっています。
神社は趣があり、温泉街のお店を見て回った後にふと立ち寄るのにいいかもしれません。
子供用遊具としてブランコとちょっとした滑り台付きの遊具が設置されています。
また、キレイな公衆トイレもありました。
池には橋があり、鯉もいるので子供が若干遊ぶのにも良いと思います。