3年ほど通っていますが今日初めて宮司さんにお会いで...
3年ほど通っていますが今日初めて宮司さんにお会いできて色々お話を伺いました。
気さくで明るい方で前橋のこと神社のこと詳しく教えてくださいました。
毎月お参りさせていただきその都度身も心も清らかに祓われます。
参拝順序があります。
是非正式参してみてください。
静かな神社。
(原文)寧靜的神社。
境内5社、愛宕神社6社の御朱印が頂けます全てきちよのみで嫌な顔しないで書いて頂けむした。
群馬縣管下上野國東群馬郡前𣘺竪町甲34 村社神明宮御祭神(大日孁命) 相殿(大国主尊)境内摂社 稲荷神社(倉稲魂命)境内末社三峯神社(伊弉諾命、伊弉冊命)菅原神社(菅原道真公)厳島神社(市杵島姫命)宇受賣神社(宇受賣命)猿田彦神社(猿田彦命)稲荷神社(倉稲魂命)(「上野国神社明細帳」より抜粋)神明宮由緒神明宮は由緒書に「当社往古より神明山といい、伊勢大神宮を奉祀せる社である。
文明九年(1477)太田道灌は湯島天神を創立し、文明十年(1478)には上杉顕貞と足利成氏の和議が成立し、道灌も帰城の際この地に来たり神明山に宮殿を創立し、鎮護神とした。
その後前橋藩主、庶民の尊信篤く現在に及ぶ」とあります。
厳島神社銭洗弁財天縁起神明宮神域に鎮り座す弁財天より湧出づる清水にて金銀財宝を洗い清めれば不浄の塵垢消えて銭は必ず一粒万倍の功顕はし一家繁昌子孫長久の守になるといいます。
猿田彦神社案内板の文字は殆ど読み取れないほど薄くなっていますが、上野国神社明細帳には猿田彦神社宇受賣神社合殿と記されています。
雷電神社(火雷命)年毎に雷雨おびただしく人家の焼失人畜の被害多かったので氏子相謀りて板倉村の雷電神社の御分霊を勧請奉斎した処以後雷鳴はあっても災厄はなく御神徳の広大なるに驚きかつ喜びいよいよ崇敬の念を深くしたと言います。
菅原神社(菅原道真公)菅原道真公は文学・詩歌の神と尊崇されています。
今なお学問の神として信仰され受験の祈願が盛に行なわれています。
三峰神社(伊弉諾尊、伊弉冉尊)往古日本武尊当山を開いて伊弉諾・伊弉冉尊の二神を三峰大神として祀られた時嶮しい秩父の山の道案内をされた勇猛な山犬を三峰大神の御眷属とされました。
これを大口真神と敬い御威力は火防盗難除、諸祭消除を祈り崇敬されています。
格納稲荷神社竪町一丁目に御鎮座守護給っていましたが区画整理事業により氏子相計りて神明宮境内に御遷座して毎年稲荷神社に並び祭典を行っています。
奥ノ宮嬬恋稲荷大明神大正三年九月信州浅間の焼石を買求め築山し嬬恋稲荷社を奥ノ宮として御鎮座しています。
神明宮は天照大神を祀り、西側の稲荷神社は倉稲魂命を祀っていることから、神明宮と稲荷神社は伊勢神宮の内宮、外宮に倣って奉祀されたものと考えられます。
境内末社に厳島神社、猿田彦神社、菅原神社、三峯神社、雷電神社などがあり、相殿として大國主命が祀られ、また境内南側の大きな池の中島は厳島神社銭洗弁財天として知られています。
(サイト「前橋周辺の史跡散歩」より)竪町は江戸時代からあった町で、現在の国道50号線と国道17号線の交差する本町一丁目の交差点から北に17号線に沿って広瀬川に架かる厩橋までの界隈で、現在の千代田町二丁目を中心とした辺りです。
竪町は本町と並んで前橋の中心地でした。
昭和三十七年施行の「住居表示に関する法律」によって千代田町になりましたが、現在でも17号線は竪町通りと呼ばれています。
江戸時代、神明宮のあたりは武家地で柳小路、神明小路、向小路といっていましたが、明治六年に神明宮に因んで神明町となりました。
このとき、神明宮の周辺800坪ほどが竪町の飛び地となったようです。
神明町にあって竪町の飛び地となったのは、一説には、神明宮が竪町の鎮守で、竪町が往時優勢だったからではないかとも云われています。
(酒井松男編『前橋新風土記』)
参拝客に対して口うるさくなっていてがっかり。
二度と行きたくない。
2018/9/28参拝(御朱印受)榛名神社に出向いている宮司さんの心遣いに感謝。
奥さまより御朱印をいただくことができました。
名前 |
竪町神明宮 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-212-8067 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
こちらは宮司さんおひとりで対応されているらしく、いらっしゃらないこともあるとお聞きしましたが、自分が参拝した際には、事務所にいらっしゃり快く御朱印を書いて下さいました。