仏教で言う庚申を猿田彦神としている。
日光開山の祖、勝道上人が庚申山奥の院に神霊を祀ったことがはじまりで、仏教で言う庚申を猿田彦神としている。
江戸時代末期には最盛期を迎え、庚申講中の参拝で賑わい、宿坊には多数の参拝者が宿泊したため、当時の道標や石碑なども現存する。
本殿は庚申山荘内にあり、小滝坑山神社跡に遥拝殿がある。
(案内板より)「当社は、明治23年(1890)に小滝坑の山神社として坑夫により建立されたが、昭和29年小滝坑廃止のさい、奉祀する三神を本山山神社に合祀した後、猿田彦神社の遥拝殿となった。
本社は勝道上人が難行苦行の末、庚申山奥の院に神霊を祀ったときに起り、今は三尊像を祀る庚申山荘内小祠が本殿である。
」
5/18〜5/19で春季例祭をしてました。
限定御朱印貰いました。
サイズが御朱印帳と合わずどう対応しようか考えました^_^
名前 |
猿田彦神社 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0288-93-3500 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.jinja-net.jp/jinjacho-tochigi/jsearch3tochigi.php?jinjya=1432 |
評価 |
3.1 |
主祭神 猿田彦大神配祀神 大己貴命 少彦名命由緒「庚申山の奇岩怪岩の名勝地」猿田彦神社は庚申山を霊神の鎮まり座す御山として、古来庚申ノ神御降臨の浄域として尊崇されています。
神護景雲年間(今より千二百余年前)、天台の僧勝道行者、光嶺を目指し難行苦行を修め神秘を開こうとしました。
当時は深山のため世に知られることが少なく、勝道行者は山嶺に篭り専念修行の末、遂に天津祖庚神ノ神に感応して大願を果たし、山上の巌窟に小祠を造営し、庚申ノ大神として天津祖庚申猿田彦大神、地津主申子大己貴大神、人津霊己巳少彦名大神、三柱の大神を奉祀したのが庚申山猿田彦神社の創建と云われます。
庚申山内には庚申御別名として、道祖神、寿命神、金神、塩竃神、幸神、縁結神、船玉神を開運七福庚神として光嶺に配祀し、神威四海にかがやき、御神徳を八方に施し、森厳自から霊嶺にせまり、仏法僧、鳥の鳴き声岳石渓谷に響き渡り、月光は山内をくまなく照らし六根ざんげの前庭には無想の露も結わず晴風は岳石をくまなく祓清め、実に現世の神界人生安息の霊場となっています。
特に当山以外には自生しない幻の霊草、庚申草(特別天然記念物指定)があります。
安政年間には練修策道として霊嶺の神門を開き、登拝者を先導き、全国的に庚申信仰が広まりました。
庚申山碑、丁程碑は当時の隆昌をしのぶ足跡として現在に残在しています。
また、滝沢馬琴の小説「南総里見八犬伝」では、庚申山怪猫退治の章で奇岩怪石、霊域の神秘を、広く紹介されました。
近県他県より年々登拝者は数を増し今日に至ります。
昭和二十一年(1946)に社殿を焼失してしまい、以来小祠にて斎祀してきました。
現在銀山公園の庚申山猿田彦神社里宮遥拝殿にて、参拝者の便宜をはかり「庚申の里」として親しまれ多くの御参拝者を集めています。
(サイト「栃木県神社庁」参照)猿田彦神社は、明治二十三年(1890)に小滝坑の山神社として坑夫により建立されました。
昭和二十九年(1954)の小滝坑廃止の際、奉祀する三神を本山山神社に合祀した後、猿田彦神社の遥拝殿となりました。
猿田彦神社は勝道上人が難行苦行の末庚申山奥の院に神霊を祀った時に起り、現在は三尊像を祀る庚申山荘内小祠が本殿で、銀山公園の当社は庚申山の奥宮を拝する里宮です。
(現地案内板より)