長谷堂城の戦いの舞台となった城跡。
割と登りやすい山ですが、湿っている場所は滑りやすいので、注意が必要です。
市内からすぐで、サクッと登れて、周りの緑に癒やされて、いいところでした。
駐車場やトイレがきちんとされていると、安心ですね。
歴史上の出来事が、随所で解説されてあり、戦国時代が身近に感じられます。
カモシカさんと会いました。
もう一つの関ヶ原の舞台である。
上杉景勝の家老であった直江兼続は徳川家康が豊臣秀吉死後に行った蛮行を弾劾した(直江状)。
会津米沢から最上氏が治める山形へ侵攻した。
最前線であるこちらの城で籠城戦が行われた。
最上氏家臣の志村光安が少ない手勢ながら善戦し直江兼続は撤退した。
数ヵ所から山頂まで登れます。
この城は山形城の南西に位置し、川をわたり西から山形城を攻撃する勢力に対して備える城でした。
山城ですが、標高はそれほど高くなく、大きめの丘です。
ただし、西側斜面は急峻で、外堀を越えて攻め入ってきた敵に矢の雨を降らせることができる地形的優位を持っています。
西からの攻めに強いため、城を包囲するよりは北に抑えの兵を残して一気に山形城を落とすことがおすすめの城です。
この城を馬鹿正直に西から攻めてしまったのが上杉の家老直江兼続でした。
慶長出羽合戦において、上杉景勝は、東軍の徳川家康に味方した山形の最上義光(伊達政宗の伯父)を攻めるため最上領に侵攻します。
上杉軍は2万数千の大軍で、最上軍七千を圧倒し各所で上杉軍が勝ちました。
長谷堂城の北西にある畑谷城を落とした直江兼続は、長谷堂城に攻めかかります。
直江兼続は、武将として評価が高い武将でしたが、長谷堂城を西から攻めてしまったのが運の尽きでした。
上杉軍の二万が長谷堂にしかけ、長谷堂城主の志村光安(しむらあきやす)が千人程度の兵で守っていました。
数の優勢は当時絶大なアドバンテージであり、直江兼続は膠着になるとも思わなかったはずです。
もっとも、西側に湿地や田などでぬかるんでおり、大軍の移動は難しく、ゆっくり進むと矢玉が降り注ぎ死傷者が出ました。
また志村光安は、夜になると夜襲をかけてきます。
上杉軍の面子は立たなくなたてきました。
焦った直江兼続は、総攻撃を敢行しますが、上杉の武将らが次々戦死するという結果を招いたのです。
なかには、当代一の剣豪と言われ、将軍足利義輝に剣を教えた上泉信綱の孫上泉泰綱もいました。
なおも攻撃を続けようとすると、直江兼続に知らせが入ります。
関ケ原にて西軍の壊滅とのことでした。
これにより上杉軍は二十倍の兵力差で敗れてしまうことが確定したのです。
長谷堂城自体は、外からの攻めには強いですが、伊達政宗の曽祖父伊達稙宗が調略により落としています。
強い城ほど正面から攻めてはいけないのでしょう。
標高約230m、比高約85m駐車場🅿️、トイレ🚾、案内板に無料パンフには散策マップ とおもてなし整備がバツグンの城跡公園⛲️さっそく駐車場前には水堀♪が復元されてる😮パンフの「おすすめ周遊コース」通りに歩いてみた🚶テクテクちゃんと案内標識も建ってた🪧真夏でも遊歩道や2重横堀♬が草刈りされてた👏 スゴイ (22/8月)他にも帯郭群♪土塁♪高切岸♬枡形虎口♬に段郭群♪などなど 遺構は盛りだくさん見れた👯主郭に長谷堂城合戦の説明板があるついでに長谷堂観音で鐘🔔も突ける至れり尽くせりな整備されてるトコ。
なかなか面白かったです。
長谷堂城の戦いの舞台となった城跡。
橋が工事中で、駐車場が分からず公園に停めて歩いて行きました。
周りは住宅が沢山ありますが城跡の本体は良く残っていると思われます無料駐車場が近場にあり城跡自体も広いものではないので気楽に来れる部類であり歴史的に有名な城であったことから軽く興味を持たれた方ならお勧めできます。
タクシー観光の歴史コースにハイッテイテ知ったが、なかなか雰囲気がある。
その昔の戦の跡が残っていて、タイムスリップできる。
展望もあり、登り口では、美味しいぶどう(デラウェアやクイーンデラウェアなど)の直売店があり、これがまた安くて超おすすめ!
駐車場に丁寧なパンフレットが置いてあり、合戦の様子を知る事ができます。
散策に適していて季節の花々も楽しめます。
とても歴史を感じられる場所でした。
綺麗に草も刈られて整備されてはおりましたが、足腰の弱い私にはけっこうキツイ道のりでした。
そのぶん、てっぺんからの景色はとっても綺麗でしたよ~。
関ヶ原合戦と時を同じくして発生した長谷堂合戦(慶長出羽合戦)の、東軍側の最上家家臣、志村光安以下約1000名で直江兼続率いる2万の軍勢に対し15日間にわたる籠城戦が行われた山城の跡です。
地元の人からは「城山」という呼ばれ方で親しまれています。
千歳山や富神山といった周辺の山と比べると体力的な面からそこまできつくなく気軽に歩ける里山の一つです。
天・地・人の時の人気は凄かったけど、今は祭りのあとの感じ、当時整備された説明看板も読めない程傷んでいます。
名前 |
長谷堂城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.2 |
一度は訪れたかった北の関ケ原、⛰️八幡崎口から登って西向口に降りました。
時代に思いを馳せながらゆっくり一時間半、丁度いい運動になりました。
ここは最上領、最上義光と言えば山形では大英雄なので(キョロキョロ)大きな声では言えませんが、どうしても上杉の直江兼続や前田慶次の方が魅力的に思えるのです。
長谷堂城の戦いは上杉軍が敗北すると突入する花の慶次の殿モードの舞台なのです。
「無法 天に通ず!」激アツです。
(追伸)上杉かぶき衆「大ふへん者」読みました(図書館ですが)。
史実はともかく・・前田慶次郎の長谷堂城戦にまた臨場感が伝わるのでした。
「◯◯でした〜」は山形の方言でした〜🔥