松尾芭蕉が平泉を訪れた際に詠んだと伝わる句が石碑と...
「義経」と同じ場所にあります。
私はこちらが主でした。
松尾芭蕉が奥の細道で訪れた場所です。
教科書にも載る有名な句【夏草や 兵どもが 夢の跡】はこの地で詠まれました。
芭蕉は高台から古戦場を見下ろし、義経の悲劇や奥州藤原氏の終焉を思い浮かべ、涙を流したとされています。
僕は涙こそ流さなかったものの、歴代の奥州藤原氏が守ろうとした地が、平和な街として残り続けていることに感慨深い気持ちになりました。
駐車場は無料でしたが、ここまで登るのは有料です。
また句碑までの道は坂道や階段があるので若干大変でした。
有名な俳句の碑。
歴史を感じる。
松尾芭蕉が平泉を訪れた際に詠んだと伝わる句が石碑として建立されている。
往時に思いはせながら詠んだのであろうか。
「夏草碑」と呼ばれる碑があり、「奥の細道」より300年を記念した「平泉芭蕉祭」の記念句碑として、平成元年(1989年)に建立された。
松尾芭蕉が平泉を詠んだ有名な「夏草や兵(つわもの)共が夢の跡」の句と、「奥の細道」の一節が刻まれている。
「頼三樹三郎(らい みきさぶろう1825~59)の詩碑」もあり、幕末期、尊皇攘夷派の志士として国事に奔走する間、高館に寄って詠んだ漢詩が刻まれている。
安政の大獄で刑死している。
「高館義経堂」は、判官館(はんがんだて、ほうがんだて)とも呼ばれ、源頼朝に追われ、藤原秀衡を頼って平泉に逃れた義経が、文治5年(1189年)、最期を遂げた居館のあった場所とされている。
義経は藤原氏4代・泰衡(やすひら)に襲われ、妻子とともに自害し、義経の首は鎌倉へ送られ、遺体だけがこの地に埋められた。
そしてこの場所に小さな祠が建てられた 。
祠内の義経像は、映画やテレビドラマで見る「牛若丸(うしわかまる)」の細面の美男子像とは異なり、堂々とした体躯で、甲冑を着け、その上に衣を纏り、鼻下には髭まで蓄えているなどの特徴がある。
高館への入り口から階段を20段ほど上ると、高台から眺望が開ける。
眼下には北上川が流れ、川向こうには秀峰・束稲山(たばしねやま、別名・東山)、平泉随 一といわれる美しい景色が広がる。
名前 |
芭蕉句碑平泉高舘義経堂(夏草や 兵共が 夢の跡) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
一言、来て良かったぁ!