昔砂金が採れた沢もあって黄金宮神社にお詣りしながら...
万葉集歌碑、昔砂金が採れた沢もあって黄金宮神社にお詣りしながらゆっくり散策できます。
隣接のろまん館で砂金採りも楽しいですよ😃
涌谷町北部の狭隘な谷間にある延喜式内社黄金山神社一帯が遺跡である。
奈良時代、東大寺の盧舎那大仏造営にあたって、仏身に塗る金が不足し憂慮していた時、陸奥守百済王敬福が黄金900両(13.5kg)を献じた。
その金を用いて天平21年(749)大仏は完成したのである。
これを喜んだ聖武天皇は、年号を天平感宝と改めるなど、国家的慶事として種々の施策を発表した。
また、大伴家持もこのことを祝う歌を詠じている。
昭和32年、神社周辺を対象とした発掘調査によって、奈良時代の瓦とともに数個の礎石跡が検出され、産金を記念した六角堂と思われる仏堂が建てられていたことが判明した。
なお、付近からは「天平」の箆描きのある宝珠片・丸瓦片も採集されている。
名前 |
黄金山産金遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.pref.miyagi.jp/soshiki/bunkazai/kuni-siseki07.html |
評価 |
3.5 |
日本で最初に発見された金の聖地。
奈良時代の瓦とともに数個の礎石跡が確認され、産金を記念した六角堂と思われる仏堂が建てられていたことが判明しています。
聖武天皇の時代の749年、東大寺大仏造立のときに、この金が使われた。
陸奥守百済王敬福は小田郡より黄金が産出したことを報告。
900両(約13㌔)の金を献上しました。