今はほとんど使われなくなった庄内弁に「カタムチョ(...
明治になって建てられた清河八郎を祀る神社。
清川は明治維新の立役者である清河八郎の生誕地でもある。
いや、立役者というか、ちょっと微妙だが、維新に至る大きな流れの中の一員であったことは確か。
清川八郎は、明治時代になって正四位が追贈されている。
それをきっかけとして、清河神社が創建され、清河八郎を祭神として祀っている。
境内には立派な銅像がある。
まさに地元のヒーローだろう。
なお清河八郎は、もともとは斎藤姓であったが、のちに故郷の地名をとって清河八郎と名乗ったもの。
こんな清河八郎が尊王攘夷の志を詠んだ歌が残っている。
「くだけてもまたくだけても寄る波は岩角をしも打ちくだくらむ」(清川八郎)「大君のためにつらぬく壮夫のきたひためにしこのつるぎ太刀」(清川八郎)いや~素晴らしい!
維新回天の魁士 清河八郎を奉る神社です。
個人的にはあまり好きなタイプではありません。
すいません。
拝殿にご挨拶だけさせて頂きました。
神社の裏手には森の中を歩ける気持ちのいい遊歩道があります。
暑い日には、この道をつかって下さい。
今はほとんど使われなくなった庄内弁に「カタムチョ(カタメチョ)」と言うのがあります。
庄内人にままに見られる一種の気質で、偏屈者、へそ曲がり、片意地な人と言った意味の言葉です。
鶴岡市出身の作家・藤沢周平氏は自身のエッセイ集「周平独言」の中で、清河八郎・石原莞爾・大川周明の3人の庄内出身者を取り上げて論じ「カタムチョ」であったと断定しています。
又、自分自身についても「恐らく荘内農民のカタムチョ」と述べています。
清河八郎を祀る。
御朱印はありません。
清河八郎記念館受付の方にききました。
3月に訪問。
まだ雪深く、拝殿まで辿り着けず、清河八郎の銅像も囲われていました。
まだ創建して間もないので評価は後世の人らに任せよか。
維新回天の傑物清川八郎公の坐像あり。
生きて明治を迎えたなら大政治家になったことだろう。
清濁併せ呑む吉田茂のような印象を感じる。
拝殿本殿も清川地元民の篤志。
☆ 清川八郎は武士ではないが苗字帯刀許された素封家だからこそ、武士の世が終わりに近いことを皮膚感覚で掴めたのだと思う。
名前 |
清河神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
歴史に興味はないが、新撰組にも関わりのある人物らしい。
興味のあるかたはご自分で検索してください。