名前 |
下川明神祠 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
尾島集落は、元々現在の矢部川と松永川(桂川)の中間の古賀松原付近にあったが、延宝元(1673)年の大洪水で堤防が破壊され、集落は壊滅状態となった。
折地組大庄屋の下川左ヱ門は、北方の源平古戦場である市の塚に移住を計画。
薩摩街道沿いに、南北320間、街道東西それぞれ30間に溝渠を掘り境界として村切りを行った。
人家115軒を設置、天満神社を建立、常用より興満寺を移転し、近村から移住を求めた。
久留米藩庁は、町つくりのため正徳2(1712)年の検地まで免租地としたため、尾島は繁栄した。
下川明神祠は、下川庄屋の偉業を永く忘れないように、文政8(1825)年、尾島金屋町の街道西側に建立されたものである。