畑になっていますけど、遺構はかなり、残り整備待ちか...
とてもいい所よー😃
みかん山にある城です。
戦国時代の天文年間(一、五三二~1、五五五)大洲城蔵岳城主宇都宮清綱は、領地を長男豊綱に譲り、三男房綱を連れて、この地に移った知行高は、矢野保の内二五村、五、七一七石五斗七升である。
天正二年(一、五七四)一月十五日長宗我部元親に内通した大洲の大野直行の軍勢が来攻し、落城した。
門丸は、標高二〇二、五メートルの所にあり、現在も本丸、二の丸、三の丸という地名が残っている。
(案内板より)連郭式の山城で、堀切、石垣があります。
宇都宮氏の城跡です、大分分、畑になっていますけど、遺構はかなり、残り整備待ちかな❗
遺構のほとんどは残っていませんが、井戸や石垣は残っていていい場所です。
しかしイノシンが出るのでかなり危険です。
名前 |
萩森城跡 案内板 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
昭和38年前後、小学生ので頃は、八高の裏から20分位かけてよくいった。
祭りの時などは出店も出て賑やかだった。
時代劇が好きだったので、城趾の小高い丘を見て、在りし日の城郭を想像して胸踊らしていたものだ。
神社の中にあった大きな屏風に手を合わせていたのが懐かしいが、今は見る影もなく淋しい限りだ。
祠一つがポツンと在るだけで、昔の面影はまるでない。
杜甫の詩を諳んじて涙が出た。
数少ない八幡浜市の歴史文化財をもう少し大切に扱って頂きたかった、公共の水道施設も大切ですが、共存を考える事も後世への遺産と考えます。