信長を裏切り切腹に追い込まれた浅井長政と父親の墓が...
小谷城主浅井氏の菩提寺 何故か「めだか」が多く飼育されています、本堂前にも飼育水槽が置かれています、いろんな色のメダカが楽しめます 浅井三代・長政夫妻の寺宝が多く安置されていまがこの日は見学できませんでした。
浅井長政ファンなら一度は行くべし✌️浅井家のお墓があります✌️
浅井家菩提寺で元々は徳昌寺と号し、小谷城下清水谷に建立されましたが、小谷城落城後秀吉公が長浜に城を移された際、長浜に移築され現在の徳勝寺に改称され、その後彦根城主、井伊直孝公により現在の場所に移転された様です。
境内には浅井三代の墓があり本堂には木像も鎮座され、当時の栄華を偲ぶことが出来ます。
御朱印は境内横のご住職宅にて頂く事が出来ます。
無料駐車場有。
浅井家を強調していたお寺でした❗
浅井長政の妻は信長の妹二人には姫が三人産まれ長女は秀頼の母淀の方三女ごうは二代将軍の妻。
浅井家の菩提寺。
徳勝寺は、現在の滋賀県長浜市にあたる東浅井郡湖北町下山田村で創建された曹洞宗の寺院で、「医王寺」と号した。
永正15年(1518年)、浅井亮政の小谷城築城に伴って、龍山株源和尚を中興として山麓の小谷城下清水谷へと移され、菩提寺となったのである。
浅井氏が織田信長によって滅亡された際、この地の支配をゆだねられた豊臣秀吉が小谷城を廃城とし、天正3年(1575年)今浜(長浜)に新たな城「長浜城」を築城した。
徳勝寺もその際、清水谷から長浜城下に移り、浅井亮政の諡号「徳勝寺殿」にちなんで徳勝寺に改称。
慶長11年(1606年)、内藤信成が長浜城に封ぜられた際、長浜城下の田町(現朝日町)に土地を与えられて移され、寛文12年(1672年)、井伊直孝の時代に現在の地に移るなど、何度も移転を繰り返した。
現在の本堂は、享保3年(1718年)年に皇室と幕府、そして彦根藩主だった井伊直惟の助力によって建立されたものだ。
当時の中御門天皇は長政に正二位大納言と白銀50枚、白緞子紋章付幕を下賜、以後皇室より年忌ごとに香料を与える慣例となった。
幕府および井伊家などの保護は徳川秀忠の正室となった浅井長政の三女・お江(お江与)の影響があるといわれる。
幾度も移築を繰り返しているため、現在の寺院の建物自体に浅井三代を偲ぶものは少ないが、本堂南側の妻飾が小谷城の時代のものと伝わるなど、一部に当時を思わせるものも残っている。
ほんとに浅井長政の墓?というくらい管理がされてない感じ。
浅井長政はじめ浅井三代墓所。
浅井滅亡後20年近く経ってから、豊臣秀吉が長浜に移した浅井家の菩提寺。
名前 |
徳勝寺 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0749-62-5774 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
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塀のないオープンな寺の境内の奥に、信長を裏切り切腹に追い込まれた浅井長政と父親の墓があります。
高層マンションの前に、浅井家3代の墓があり、何とも不思議な感じです。