多聞櫓は大阪歴史博物館から良く見えます。
市多聞跡の前に咲いていた向日葵がとても可愛かったです。
春には狭間からお堀と桜並木が見えます。
大手門から入って南側にあったらしいです。
東西25m、南北5.4mぐらいだから相当でかいな。
以下、解説板より。
「江戸時代、大阪城大手口枡形には、現存する多聞櫓のほか、南側に東西13間5尺、南北3間の独立した多聞櫓が建っていた。
大手口枡形内には定期的に商人の入場が許可され、この櫓の中で、一年交替で城に詰めた旗本(大番衆)が日用品を調達するための市が開かれたことから、市多聞という名がついた。
明治維新の大火によって焼失し、現在は礎石のみが残る。
大手門から南にのびて東に折れる塀のうち市多聞跡と重なる部分は、市多聞焼失後に築かれたものである。
」
大手門から入ってすぐ。
江戸時代はこの櫓の中で城に詰める旗本の日常品調達の市が開かれたそう。
現存する多聞櫓のほか南側に南北3間の多聞櫓があり、城詰の旗本が日用品を調達する市が開かれ、市多聞という名がついた。
니시노마루정원과 이어져있어서 특별 전시 기간에는 니시노마루정원 표를 따로 구매 안해도 됩니다
多聞櫓は大阪歴史博物館から良く見えます。
大手門から入城し、左手を見れば威容を誇る大手大門だ。
右手の石階の上には土塀があるが、そこに江戸期、独立した櫓があった。
それに接するように多聞櫓があったので、市多聞櫓と呼ばれるようになったという。
いわゆる城内勤務する役人のためのコンビニだ。
一体どんなものを売っていたのだろうか?しかし、ここも戊辰戦争の大火であえなく焼失。
今は礎石だけが、物言わず静かに横たわっている。
大手門を越えるて多聞に向かう侵入者の背後を打った櫓があったそうです。
礎石が残っています。
名前 |
大阪城市多聞跡 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
06-6755-4146 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
大阪城の堀にビックリしたコロナ前。
正攻法ではとても攻められないと思いました。