立て看板に説明書きされています。
水野監物邸跡は、三河岡崎藩水野家芝三田屋敷の一部跡地で、吉良邸討入り後に赤穂浪四十七士のうちの九人が預けられた邸跡です。
赤穂浪士のうち間重治郎光興、奥田貞右衛門行高、矢頭右衛門七教兼、村松三太夫高直、間瀬孫九郎正辰、茅野和助常成、横川甚平宗利、三村次郎左衛門包常、神崎與五郎則休の九名が預けられ、当地で自刃したといいます。
三河岡崎藩水野家の屋敷跡。
四十七人の赤穂浪士の内、9人が預けられた所。
わかりづらい所にあって、一度通り過ぎてしまった。
こう言う地味と言ったら失礼だけど、知らなかった歴史を知るのが楽しい。
史跡表示板は、路地を入った右側の木の陰に有って見にくい。
路地奥の民家風の居酒屋は、戦前の建築で貴重!
25~26年前、よく飲み会で通ってた場所(の片隅)がよもや史跡とは‼️いいなぁ…。
死ぬまでにもう一回は来るので残しておいて欲しいなぁ。
立て看板に説明書きされています。
Not much to see. A plaque and a stone lantern.
水野監物邸跡(みずのけんもつ てい あと)は、東京都港区芝5-20-20にある三河岡崎藩主・水野家の中屋敷跡である。
現在は灯籠のみが残っている。
水野監物(忠之)が藩主の時、この屋敷には赤穂事件で吉良上野介(義央)の屋敷に討ち入った赤穂浪士9名が幕府の沙汰を待つためにお預けになり、元禄16年(1703年)2月4日同屋敷で切腹した。
現在の慶應仲通りが三田二丁目から田町側に向かい、商店街の終点で東南に折れる場所の正面の医院の前に位置する。
実際の屋敷は同地より北へ50メートルほど離れた場所にあった。
(wikiより)
名前 |
水野監物邸跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.8 |
もう、水野監物邸の建物はなかったけど、レトロな建物がありました。
素敵ですね。