凄く登りのきつい車道で牛車だけでは登り切れないので...
江戸時代、京都と大津間の東海道では、多くの牛車が往来し、大津に運ばれた米や木材などが京都に向けて運ばれたそうです。
当時の東海道は舗装がなく、雨が降れば続逢坂峠や日ノ岡峠の二大難所では、車輪が泥にとられ、往来が難儀だったのでしょう。
これを改善するため、車石用の溝が敷設され、物流の礎を築いたようです。
京阪日ノ岡駅のちょいと手前にある車石。
もし観光目的で観に行こうとしてるなら、そこまでのものではない。
ぶらり散歩でこんなのあるんだ!ってレベル。
これ目当てに来てる人がいることはまずないので、ちょっと変わったポートレート撮りたい人にはいいかもしれない。
ちなみに駐車場はない。
御陵駅から歩いて15分くらい。
幹線道路沿いの小さな公園(ベンチ有り)の中に、昔この辺りの道路に敷かれていたという敷石が置かれています。
この敷石には荷車の車輪に合わせた溝が掘られており、これによって雨などで道がぬかるんでも牛車がスリップしたりすることなく、スムーズに通行できたということです。
なお、この場所に限らず、旧東海道沿いには「車石」関係の史跡がたくさんあります。
本当に山にこの石をおいて、午を引いていたのでしょうか?昔の方が人口も少なく、道具もなかったのに‥謎の石ですなぁ~🧚✨
昔の思い出しかありません!三条通り沿いにあるけれども、以前は壊れていましたが、今は米俵と荷車のオブジェは修復しています‼️
正直、存在価値がイマイチわからないし、寂れてきてもいる。
誰も注目していない。
昔使われていた石畳を石積擁壁としていましたが、京津線の廃止に伴う道路工事でてっきょされ、その車石を保存展示しています。
以前交通事故の被害で一部損壊してましたはが、今は綺麗に修復されていました。
凄く登りのきつい車道で牛車だけでは登り切れないので人力が全てと言われていました。
東海道五十三次、休憩しました。
存在価値がない。
特にすごいわけではないですが、車石の復元したものがあります。
名前 |
九条山 車石 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
このすり減り具合は!どれだけ通ったんだろうか。