広大な墓地群を登りきった所にあります。
この寺域で、一番高い位置に1633年に二代将軍徳川秀忠の供養の為建立された重要文化財ですね。
京都市内が一望できる気持のいいスポットです。
又石段の最下部の蓮池(兜之池)に架かる極楽橋も春日局が架けた木造の橋を、その時石橋に架け替えたそうです。
本堂からお墓の中を歩いて一番上。
ここから見た京都の街、とても綺麗でした。
こちらからの京都市内の見晴らしが実に素晴らしいです。
塔内にお祀りされていた文殊菩薩像は、現在は御影堂に遷されています。
1633年、二代秀忠公供養のために建立された三重塔で、国指定重要文化財。
近くにあった中山宝幢寺から移された中山文珠と呼ばれる獅子に騎乗する文殊菩薩像と手綱を持つ四体の脇侍像が安置され、運慶作ともの額も読め、わる。
京都市から登録文化財として指定されたのを機に、欠損していた善財童子を新調し、渡海文珠形式に整え、法然上人八百年遠忌の2008年には御影堂に移された。
ちなみにこの文殊菩薩像は諸説あるが、『安倍の文珠(奈良)』、『切戸の文珠(天橋立)』とともに、日本三文珠とされ、二層目に『日本三文珠随一』との額がかけられている。
21/05/07、雨の中、石段の登って塔の下まで歩いた。
すっきりした形のいい塔で、『日本三文珠随一』の額も読め、登った甲斐があった。
帰り、石段の上から見えた雨に煙る京都の街もよかった。
また、晴れた日に来よう!
三重の塔(文殊塔)は秀忠公を弔う為に建てられたとされており重要文化財です。
三重の塔に向かう坂を登って行き、途中振り返ると非常に見晴らし良く景色も良いです。幕末に会津藩が先ずこの地に入ったのは千人規模の兵を養える場所が有る事と、この地から遠く淀や山崎が見え、反幕府軍の動きが良く分かる為らしいです。三重の塔の裏(東側)には京都商工会議所の初代会長であり日本初の市街電車、京都電気鉄道会社の初代社長でも有る高木文平の大きな墓有ります。
その近く北側には清和天皇火葬塚有り宮内庁管轄です。清和天皇は言わずと知れた清和源氏のおおもとで末裔を名乗る徳川家と共に京都を守るには良い場所と成ったのでしょうか。
三重の塔より北側少し行った所には会津藩の墓所が有り、松平容保公の座像有ります。
この広い墓所は金戒光明寺の北東、鬼門に有ります。
歴史の重みを感じます。
金戒光明寺の三重塔は、寛永10年(1633)に徳川秀忠の菩提を弔うために建立されたそうです。
塔内には中山文殊像を安置していたそうですが、現在は御影堂にお移ししています。
次回拝観した時は中山文殊の御朱印をいただきたいと思います。
三重塔、文殊塔の周りの柵が強化されていました。
柵を乗り越えて中に入る人が多いのかと思いましたが瓦が落ちて来るのを防ぐ為の様です。
山の上に立ってますので風雨に強く曝されて傷みも激しいのでしょう。
遠くから見ると立派な御姿なのですが…。
真如堂からの帰り道にありました。
眺めが良い。
山は昔のままかな。
見晴らしが良く、京都の街を一望できます。
広大な墓地群を登りきった所にあります。
ここから見る景色は格別です。
この場所から見る景色も良し!
良い視点(原文)good viewpoint
名前 |
文殊塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
重文の立派な三重塔になります。
徳川秀忠の菩提を弔うために伊丹重好が建立されました。
今は方丈に移されましたが、文殊菩薩様は日本三大文殊菩薩のひとつに数えられております。