ご利益あるかもしれません。
猿田彦大神(さるたひこ_おおかみ)は天照大御神(あまてらす_おおみかみ)の皇孫(こうそん)であり、お伊勢さんとの関わりの深い神様です。
天照大御神が伊勢にお鎮(しず)まりとなられた時に猿田彦大神は大田命(おおたのみこと)の姿を借りて皇女倭姫命(こうじょ_やまとひめのみこと)一行に教え諭した言葉が「人は天地自然の間に天地(あめつち)の霊気を受けて生まれている。
そして、人は神の御光(みひかり)を頂いてその子孫としてこの世に生を受けている。
それゆえ神の御心(みこころ)、お考えに背く事があってはならない」です。
江戸期には道祖神として街道沿いに建てられています。
総本社は椿大神社(つばき_おおかみやしろ:三重県鈴鹿市)で当神社の御神体は猿田彦大神です。
御利益(ごりやく)は交通安全、災悪封じ、方位除け、商売繁盛、病気平癒(びょうき_へいゆ)他です。
神饌の為に扉が開いていました時に確認したところでは邪鬼を踏む石像でしたので庚申塔と分類されますが、猿田彦大神である事はいささかもかわりません。
入口は明神鳥居で神仏習合時代の雰囲気を持つ社殿であり、建築様式から千木(ちぎ)と堅魚木(かつおぎ)は後付けのようです。
明治政府は街道沿いの道祖神を民間信仰として破棄の対象とした事から当時、神社様式を整えたもので修験道は明治政府が宗教と認めず、やむなく神社や寺院様式に変えて存続をはかっていました。
当神社も先人の苦労が見うけられます。
神仏習合時代(しんぶつ_しゅうごう_じだい)での建立ですから明治政府による神仏分離に対応して千木と堅魚木4本を載せています。
小社(しょう_やしろ)の基準では堅魚木は4本、長さ4尺(120cm)、直径3寸(9cm)であり、準拠した造りにされています。
猿田彦大神は椿大神社の社伝では伊勢の国、阿邪詞(あざか:現松阪市)で漁をしていた時に比良夫貝(ひらふがい)に手を挟まれ溺れて落命した後、高山土公神御陵(たかやまどこうしん_ごりょう)に葬られたとされています。
***鈴緒(すずお)の鈴が外される場合があるのは特に夜間の参拝での騒音対策なのでしょう。
鎮守の杜が包まない場所柄、静かに参拝される配慮が必要となります。
***
ご利益あるかもしれません。
鈴は撤去してます。
名前 |
猿田彦大神 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒221-0013 神奈川県横浜市神奈川区新子安2丁目14−32 |
評価 |
4.0 |
マンションとマンションの間にある斜面に建っている小社。
本殿等の構造物の状態は良好。
側面には絵馬が奉納してあった。
祀られている石像は1800年に彫られたものらしい。