17世紀にこの辺りを開発した吉田勘兵衛によって掘ら...
こんな街中に史跡が…
将来に残してもらいたい史跡です。
「進駐軍よって埋められ」などの記載も含めて、歴史を感じさせる史跡。
大井戸あります。
200年前の大切な水源だったようです。
17世紀にこの辺りを開発した吉田勘兵衛によって掘られた井戸だそうです。
太平洋戦争後、進駐軍によって埋められてしまいますが、横浜の発展の歴史を知る上で貴重であることから復元されて今に至るようです。
吉田新田の貴重な歴史です。
よく通っていた道でしたが今まで気づきませんでした。
現在の横浜の発展の礎となった吉田新田、その中心人物・吉田勘兵衛が新田開発の折、掘った井戸でその水質は良質で、近年までこの付近の住人の飲料水となっていた。
昭和20年、世界大戦敗戦における進駐軍により埋められた。
現在は、当時の様子を復旧し、横浜の発展の歴史の一資料と思える。
扉が閉まっており、近寄れない○吉田新田を作った吉田勘兵衛の、ご子孫が運営する吉田興産/吉田パーキングの敷地にある○すぐそばの清正公堂と一緒に。
貴重な史跡です。
名前 |
大井戸 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.8 |
吉田官兵衛によって開発された吉田新田が開発された頃に掘られた井戸。
長きに渡り付近住民の飲料水となるほど良質の水が出ていた。
明治中期以降は飲料以外にも使われており、関東大震災時事には防災の役割も果たすなど、市民生活に欠かせない存在だった。
戦後、進駐軍によって埋められてしまった(罰当たり!)が、平成になってから横浜都市開発史上の一記念物として復旧された。