ケンペル・ツュンベリー記念碑 / / .
文政6年(1823)7月、出島和蘭商館医として渡来したシーボルトは前に渡来した先学の商館医ケンペル(1690年渡来)ツュンベリー(1775年渡来)の功績をたたえ、これを記念するため文政9年(1826)、この碑を出島花畑に建てた。
明治17年(1885)出島整備により、この碑は長崎公園内(長崎市上西山町)に移建されたが、昭和31年(1956)旧植物園が復元され現在地に移された。
碑文にはシーボルトが先学をたたえた文字が刻まれているが、その文から彼が日本研究によせた心情を読みとることができる。
その意味で、この記念碑はシーボルトその人の記念碑ともいうことができ、我が国の文化史上貴重な文化遺産として評価されている。
長崎市HPより。
名前 |
ケンペル・ツュンベリー記念碑 |
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ジャンル |
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電話番号 |
095-821-7200 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
エンゲルベルト・ケンぺル(1651〜1716)はドイツ北部出身の医師、博物学者です。
元禄3年(1690年)よりオランダ商館の医師として約2年間、出島に滞在し、江戸で徳川綱吉にも謁見したそうです。
「日本誌」の原著者です。
カール・ペーテル・ツュンベリー(1743〜1828)はスウェーデン生まれの植物学者、医師。
安永4年(1775年)オランダ商館の医師として出島に約1年間滞在しました。
江戸で徳川家治に謁見し、又江戸滞在中は多くの蘭学者に影響を与えたそうです。
「日本植物誌」を著作しました。
この記念碑は出島和蘭商館医シーボルト(1796〜1866)が自分よりも前に来日したケンペルとツュンベリーの功績を称える為に明治41年(1826年)、出島花畑に建立しました。
この3名が出島三学者と呼ばれる偉人です。