500年のを越す歴史をもつ浄土真宗本願寺派の寺院で...
500年のを越す歴史をもつ浄土真宗本願寺派の寺院である。
この寺に、徳川第14代将軍家茂公(当時19歳)が入浴された風呂桶が大事に保存されている。
時は風雲急につげる幕末、文久4年(1864)、汽船で大坂城に向かう朝倉播磨守(あさくらはりまのかみ)を上使とした150名の一行が立ち寄った時の物である。
正月6日、由良港へ停泊、阿戸の教専寺を本陣として休息され、午後3時頃帰艦、翌7日・午前10時頃、網代へ上陸され、徒歩で横浜を経て、再び教専寺へ行かれた上、昼食、午後3時過ぎには入浴され、夕食後、午後4時頃船に帰られた。
時の住職は、智芳(ちほう)という方で、ミカン一籠を献上し、銀子(ぎんす)3枚を賜ったという。
教専寺は、他に「形見の片袖」の伝説をもつ半鐘(はんしょう)(元禄12年=1699)と、町内現存で最も古い手洗石(てあらいいし)が残されている。
(ゆら語り部くらぶ参照)
500年のを越す歴史をもつ浄土真宗本願寺派の寺院である。
この寺に、徳川第14代将軍家茂公(当時19歳)が入浴された風呂桶が大事に保存されている。
時は風雲急につげる幕末、文久4年(1864)、汽船で大坂城に向かう朝倉播磨守(あさくらはりまのかみ)を上使とした150名の一行が立ち寄った時の物である。
正月6日、由良港へ停泊、阿戸の教専寺を本陣として休息され、午後3時頃帰艦、翌7日・午前10時頃、網代へ上陸され、徒歩で横浜を経て、再び教専寺へ行かれた上、昼食、午後3時過ぎには入浴され、夕食後、午後4時頃船に帰られた。
時の住職は、智芳(ちほう)という方で、ミカン一籠を献上し、銀子(ぎんす)3枚を賜ったという。
教専寺は、他に「形見の片袖」の伝説をもつ半鐘(はんしょう)(元禄12年=1699)と、町内現存で最も古い手洗石(てあらいいし)が残されている。
(ゆら語り部くらぶ参照)
名前 |
教専寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0738-65-1038 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
道狭いです、駐車場からみたらまるで城塞ですね。