現存するのはここだけ。
R41113訪問復元とは言えなかなかの雰囲気でした。
中を覗きましたが、真っ暗でした。
極寒の土地なので、藁の上に寝ていたら冬は越せないと思います。
お米は一日あたり2合以上は渡され、牢番が食事を小さな窓から差し入れるそうですが、ここは罪の重い罪人が入る独房なので外には出してもらえないんだそうです。
雰囲気が怖かったです。
お小夜さんは五箇山でどんな感じで暮らしていたのかなと、気楽に覗いたら人影があって心臓が飛び出るくらい驚いた。
ここの小屋に入る人は余程な事をした人らしくお小夜さんとはあまり関係ないのかも。
中に入ろうと思ったら、先客がおられました。
オリジナルは昭和38年に倒壊していまい、資料を元に復元されたもの。
当時の雰囲気は良く伝わってきますね。
多くの小さな家が倒れましたこれは復元された家です。
2020年10月28日。
富山県指定有形民俗文化財の流刑小屋!歴史ある合掌造りです。
加賀藩の流刑地としてここ五箇山に罪人が送られて来たのは1667年が最初のようです。
以来、明治維新までの約200年間で150人あまりの罪人が流されて来たようです。
非常にシュールな観光スポットです。
小屋の中はとても暗く、iPhoneのライトでは中の人形は見れない。
1985/1/2初回来訪。
流刑小屋:五箇山に現存する唯一の流刑小屋跡。
約3㍍四方と狭く、太い木組の小屋で「豪雪で屋根がつぶれたのを補修・・・・・」と説明があり、内部は罪人たちの苦境を偲ばせるのに十分。
中を覗いてドキッとするかも?
流刑小屋ですら合掌造。
この狭さと暗さは厳しいなぁ、夏場は風も通らなくて、苦し紛れに虚実織り交ぜ白状してしまうのかなぁって思いました。
街並み散策用に無料駐車場が国道沿いにあるので少し歩きますが丁度良いです。
流刑小屋❗ 初めて知りました。
知らずに中を見るとちょっとびっくりしますね‼️
急流によって分断された山間の地である五箇山一帯は前田藩の流刑地でした。
この流刑小屋は当時をしのばせる貴重な遺構です。
わざわざ訪れるほどの場所かと問われればそうでもないので評価は☆二つとしていますが、五箇山観光の折にはあわせての立ち寄りをお勧めします。
歴史的な物件でした。
昔の人裁かれ方が今とは全く違い、今の人からしたら理不尽な裁かれ方だったんだと思いました。
日本唯一という流刑小屋。
昭和の時代に復元されたようです、
趣ははあるが再建された建物。
駐車場は上にあります。
交通量が少ないので、下の入口に停めて見に行きました。
江戸時代の藩政を考える上で非常に興味深い史跡です。
五箇山にしてみると、流刑地に指定されるというのは不名誉なことかもしれませんが、加賀藩における五箇山の位置付けを知る上で重要な史跡なのでもっと整備してアナウンスするべきだと思います。
建物自体は1分で見終わります。
江戸時代に加賀藩の流刑地として8ケ所あった流刑小屋のうちのひとつであり、現存するのはここだけ。
小さな茅葺き造りで、入口の柱には小さな口が開けられ、ここから罪人に食料を与えていたそうです。
元々の建物は、昭和38年(1963)の豪雪で倒壊しましたが、昭和40年(1965)に復元され、県の有形民俗文化財に指定されています。
名前 |
流刑小屋 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
0763-66-2468 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
加賀藩の流刑小屋で富山県の有形民俗文化財となっているが、江戸時代の建物ではなく昭和の再建。
流刑小屋が見られるのは全国唯一とされる。
加賀藩の流刑小屋は荘川の右岸に逃亡防止策を講じて造られたとされる。
今は左岸を走る国道156号線から橋を渡ってすぐ。
上梨地区。