令和元年10月25日600年祭に伴う?
初めて伺いました。
とても立派なお寺でした。
御朱印も頂けました。
瓜連の常福寺に到着です。
立派な山門です。
草地山蓮華院常福寺は浄土宗の常陸総本山であり、水戸徳川家の菩提寺でもある名刹です。
南北朝時代の1336~1339年、了実上人によって開山、1388年の僧坊焼失を期に瓜連城址に移転、1405年に再建されました。
1543年、後奈良天皇より宸筆の寺号「常福寺」の勅願を賜り、1602年、徳川家康から朱印地100石が寄進され、その後も徳川光圀から「阿弥陀三尊像」「拾遺古徳伝」を寄贈されるなど、近世初頭の常福寺は将軍徳川家の保護により大きく発展しました。
江戸時代中期から末期までの建造で現存しているものは、山門、桜門、唐門、鐘楼で、本堂は落雷や火災のため度々焼失しており、現在の本堂は1995年に再建されたものです。
第二世了誉上人は、眉間の上に上弦の月影の疵跡があり、その容貌は文殊大士(禅宗における修行僧の完全な姿)を思わせた為、了実上人から大きな期待を持って迎えられ入門しました。
その後、修業勉学に専念した了誉上人は、内外の典籍に通暁し、識力・法力ともに類い稀な力を発揮し、また諸国の学者を訪ねて八宗九宗の奥義を極めました。
さらに神道、和歌にも通じ、その博学宏才は衆を超えたと伝えられています。
了誉上人は、「六夜さま」「三日月上人」とも敬慕されており、法然上人を開祖とする浄土宗を今日の隆盛にした中興の師で、浄土宗六高祖の一人となっています。
その事から、600年後に至る今日、瓜連地方に広く「二十六夜尊」として崇敬され、学問の仏様として参詣されています。
二十六夜尊(常福寺)通称「六夜さん」で知られ、旧暦9月26日・27日に行われます。
常福寺再興に功績があった了誉(りょうよ)上人への報恩の大法要を行う祭礼です。
了誉上人は、法然上人を開祖とする浄土宗を今日の隆盛にした中興の師であり、浄土宗六高祖の一人で、聖冏(しょうげい)上人とも呼ばれています。
現在では「二十六夜尊」として崇敬され、学問の仏様として多くの方が参詣します。
一度観てみたいですね。
瓜連城跡に再建された。
立派な山門が3つもあり、目をみはる。
山門を見に行くだけでも見応えがあります。
勿論、本堂や墓地の後ろでは瓜連城跡を見る事が出来る。
阿弥陀如来様や千手観音様が出迎えてくれます。
住職さん達の対応も良く、イベント時は本堂内に入る事ができ、美しい天井絵を見る事ができます。
南北朝時代に激戦地となった瓜連城の本丸跡に建つ難攻不落のお寺です(笑)。
ココは元々は南朝方の楠木正家(楠木正成の親族)が築いた城跡で、常陸国における南朝方の重要拠点となっていました。
最後は北朝方の佐竹氏の急襲を受けて落城してしまうのですが、本堂裏手に空堀や土塁が明瞭に残っています。
寺として整備されるのは、その後の時代です。
それから水戸黄門様から寄贈を受けたという、寺宝の鎌倉時代の極小仏が有名ですね。
それは虫眼鏡で確認しないと分からないぐらい小さい仏で、TVで紹介されいるのを見た事があります。
私が実物を見たのは神奈川県立金沢文庫博物館への出品物としてですが、その細工の超絶技巧に驚かされました。
広くて、保育園併用の、お寺でした?くすぐり地蔵とも、呼ばれています⁉️
静かなところです。
二十六夜尊で有名です。
寺構えからも由緒あることが伺え、ましてや水戸徳川家の菩提寺である。
寺としての宝物が盛り沢山。
拝見し再認識しました。
令和元年10月25日600年祭に伴う?稚児行列に参加予定でしたが当日の雨により稚児行列は中止。
本堂の中での記念撮影です。
とても良い記念になりました。
敷地は広い。
城跡もあるらしいが分からなかった。
立派な 門と本堂があります 遠い昔は瓜連城がこの地にありました。
綺麗に整備されたお寺でした。
隣には保育園が。
奥には、民話“四匹の狐”の長男、源太郎狐が祀られている『源太郎稲荷』があります。
何時でも、綺麗に整備されていて、気持ち良くお参りが、できます。
綺麗です!立派なお寺さんです。
手入れがいきとどいています、和尚さん夫妻も、親切丁寧さすがです!
名前 |
草地山常福寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
029-296-0162 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
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檀家以外の来訪者にもとても親切です。
駐車場も広く良く整備されていて、気持ちが良いです。
素晴らしい御朱印もいただきました。