東北側からすると必ずしも喜ばしくはない。
May'04.2021 参拝並びに画像撮影。
巨岩とのコントラスト、自然物の巨魁とささやかな人工物、けど厳かな調和がこの光景を生み出している。
アクセスが非常に難しく、安全柵に登らなくてもアクセスすることは可能ですが、私たちにとっては面倒すぎたので(あまりに長く道路を回らなければならなかったでしょう)、私たちは柵に登りました。
交通安全。
しかし、努力する価値はあります。
聖域はシンプルです:小さな素朴な木造の建物で、2つの巨大な岩が交差する窪みに木製の鳥居が散りばめられています。
しかし、風景は美しくリラックスしています(後ろの道を無視して)。
岩の間を見るために壮大でなければならない夕日を見るために戻ってきます。
(原文)Très dur d'accès, il est possible d'y accéder sans grimper la glissière de sécurité, mais c'était trop fastidieux pour nous (il aurait fallu faire le tour de la route, trop long), nous avons donc escaladé la barrière de sécurité routière. Mais cela en vaut la chandelle. Le sanctuaire est simple: un petit bâtiment de bois rustique avec un torii en bois jonchant le creux de deux énormes rochers qui se rejoignent. Mais le paysage est magnifique et reposant (en ignorant la route derrière). On reviendra pour voir un coucher de soleil, ce qui doit être magnifique à voir entre les rochers.
3年程前に行きました。
海辺なので出来れば晴天の日がよかったです。
日本海の景色が良いです。
7号線沿いを走ると海沿いに見える大きな立岩。
ここの夕日は本当にきれいです!
立岩に逃げて矢を逃れたという伝説がある神社です。
神社の奥の岩場に鳥居があって渡し板を通れば行けるようですが、台風の日で足元が危なかったので奥がどうなっているかは未確認です。
いなほの車窓からも立岩が見えます。
御祭神は武内宿彌尊、景行・成務・仲哀・応神・仁徳の5代(第12代から第16代)天皇に仕えたという伝説上の忠臣で蝦夷討伐を申言・推進した人物、東北側からすると必ずしも喜ばしくはない。
その東征の際に武内宿彌尊を敵の矢から守ったという故事から矢除神社と呼ばれる。
紀氏・巨勢氏・平群氏・葛城氏・蘇我氏などの祖ともされ、明治から戦前にかけて日本銀行券の肖像にも採用されている。
また松尾芭蕉「あつみ山や 吹浦かけて 夕涼み」の舞台と推定される。
名前 |
矢除神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
武内宿禰命が敵の矢を除けたらしいですが、イヤイヤ岩デカいし。
矢当たらんな。