地元民に大切に守られ、地元民を守ってくれている場所...
松倉山馬頭観音開基奈良時代の高僧行基が諸国に仏事を広めるため養老元年(717年)この地、高館山に来国し観音堂を建て開基となっております。
尾浦城時代は武藤氏が尊崇し大変繁盛しましたが武藤氏滅亡後は想像し難い法難を受けたことが伝えられており、1,200石が没収され、大山の栗本邸に遷座されたといわれております。
其後幾度かの災厄にあい、現在の御堂は宝暦四年のものです。
屋根上の露盤は大山鋳物師、伊藤備中守藤原朝臣家清の作であり、本尊は馬頭観音といわれていますが、聖観音であります。
正面の額は源忠良(酒井家十六代)の書であります。
ご祈祷を業としていたが明治に入って廃寺となり、農耕馬、徴兵馬等の信仰が厚く、馬車曵連の記録もあります。
地元の方が、毎月御堂に集まり御詠歌を上げ、敬虔なお祈りを百年以上にわたり続けております。
仁王門、仁王像境内に入ると円柱八脚の山門があります。
慶応三年の創建で勾配の美しい入母屋造りで正面には波に鶴亀左右には松の浮彫がしてあります。
仁王像は身丈260糎、足平45糎の堂々たるお姿です。
北越大川之住 後藤重太郎定融の作とあります。
縄巻地蔵さま一見どこにもある地蔵さまのようですが、堂には幾重にも縄が巻かれお顔もはっきりしませんが、笠塔婆か六面幢ではないかともいわれております。
覆堂の合掌には酒ガメの彫刻が飾られ酒屋町らしい建物です。
縁の下地蔵さま観音堂の階段の下に石造りの厨子があり小さな地蔵さまが祀られております。
子供の夜泣きに御利益があり、子を持つ親の厚い信仰をうけています。
お詣りする人は人に見られないと御利益があるそうです。
7月17日には、参道に地口灯ろうが並びろうそくの明かりで墨絵の観賞や、仁王さまの股くぐり等でにぎわっています。
平成20年12月吉日松倉山馬頭観音世話人会松倉山馬頭観音観音講【縄巻地蔵尊(六面幢)の由来】地蔵信仰は、地蔵尊が六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人道・天道)を輪廻転生する衆生をすくうことから起ったといわれています。
本来六面幢であったと推定されるこの縄巻地蔵尊は栗本家文書によれば、かつて松倉山に馬頭観音(鎌倉中期作)と共に祀られていましたが、元和四年(1618)京都東寺(真言宗本山)の陽海上人によって現在地に遷座されたものです。
縄巻地蔵尊は、人の道に外れた行為に対する罰を私たちの身代わりになって受け、永年の間風雨にさらされながら衆生三世の幸福を守り続けた結果、このようないたましいお姿になられたのでありましょう。
平成九年八月縄巻地蔵尊および地蔵尊座像は駒沢朝霧氏、覆堂は馬頭観音講中のご芳志によって新しく作りかえられました。
松倉山馬頭観音保存会。
名前 |
松倉山馬頭観音 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.5 |
地元民に大切に守られ、地元民を守ってくれている場所。
尊い事と思います。
知る人ぞ知るパワースポット。