市の指定避難所になっていました。
杉ノ下地区 東日本大震災慰霊碑 / / .
より高台へ石碑に刻まれたこの一言に胸が詰まる。
当時、この高台に多くの人が避難した。
ここならば安全なのだと。
以前の大津波のときは、ここまでは津波が来なかった。
しかし、その過去の教訓はアダとなり、はるかに超える大津波が避難していた人を飲みこんだ。
多数の死者が出た。
あってはならない痛恨の悲劇。
どれだけの恐怖だったのだろうか。
教訓のむずかしさ。
市の指定避難場所なのに。
「より高台へ」と刻まれた石碑。
津波の本質、災害対応の難しさ、も語っている。
いやそんなことはどうでもよく、理屈抜きに高いところへ行け、少しでも遠くに、少しでも高いところに逃げなさいと、見た人に言っている。
2023年9月21日、1回目の訪問。
東北ツーリングで寄りました。
三陸沿岸は何処も堤防が築かれ昔の面影は全く無かったかな、、、あれだけの被害だから止むなしと思うものの綺麗な海や砂浜が見られないのは、、、此方の地区でも大勢の方が犠牲になったとの事で、南無阿弥陀仏。
盆過ぎに来ましたが、花がかざられている。
慰霊碑に、死者に思いを伝える場になっている。
場所も、掃除や草刈りがされていた。
明治三陸大津波に被害を受けなかったことで海抜11mのこの高台は、市の指定避難所になっていました。
東日本大震災の津波の高さは、この地区で18mと言われ、多くの人が犠牲になりました。
気仙沼湾の入り口にある、杉ノ下高台は、周辺の住宅地の人たちの、津波の避難場所でした。
頂上の標高は12mぐらいの小高い丘です。
2011 年の東日本大震災では、多くの人がこの高台に避難されましたが、93人の方が亡くなられました。
津波は頂上の上約2mまで冠水したそうです。
今もお花やお水がお供えされています。
安らかにという鎮魂の思いを捧げ、災害に対する大事な教訓を私たちは後世に繋いでいきたいと思います。
The Suginoshita hill at the entrance of Kesennuma Bay was a tsunami evacuation site for people in the surrounding residential areas. The altitude of the summit is a small hill of about 12m.In the 2011 Great East Japan Earthquake, many people were evacuated to this hill, but 93 people died. It seems that the tsunami flooded up to about 2m above the summit.
この地区の元避難所のあった場所に建てられています。
明治の津波では被害を免れたので、地域の避難所に設定されていました。
しかし、東日本大震災ではその想定を超える津波に飲まれ住人の多くが犠牲になりました。
この地区には第五班まで班があり、この場所は第二班の地区。
その為、第二班の方々が一番多く亡くなられています。
写真は震災遺構として公開されている高校の方面を撮影したもの。
奥の高校4階までの高さの津波に襲われました。
津波の凄まじさが分かる場所です。
2020年10月追記。
このお話は私が行った際に偶然、お花を供えられていたこの地域に住んでいる方からおうかがいしました。
震災から間もなく10年。
この場所はいろんな方に行ってほしい場所です。
ここは、杉の下地区の一時的避難場所になっていて震災当時 約100名もの住人が、避難していて.そこを津波が襲い80数名の尊い命が、一瞬に奪われてしまうという悲劇の場所です。
この地区では一番の高台ですが、三方から次々に襲ってくる津波に…合掌。
名前 |
杉ノ下地区 東日本大震災慰霊碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
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杉ノ下地区の高台は明治三陸大津波の時に津波被害を防いだので東日本大震災当時の市の指定避難場所になっていた。
住民の約3割に当たる93名が犠牲となってしまった。
その場所に慰霊碑が建てられて未来への教訓を刻んであります。