綺麗に整備されています。
2023.4.25 初訪問大阪市内に現存する数少ない古墳の一つ。
柵に囲まれて中には入れませんが、お花🌸が見事に綺麗に咲き誇っていましたので、調べて見ました。
ニセアカシア(和名ハリエンジュ・針槐)。
名前の通りアカシアではありません。
明治に渡来。
北海道では、「アカシア」と呼び親しまれているそうですが、誤称です、と。
古いところでは、西田佐知子のヒット曲「アカシアの雨がやむとき」のアカシアもこの木。
白い蝶形の花が、藤の花のように下垂しています。
甘い香りが、古墳中に漂っています。
今が見頃です、5〜6月。
葉も、楕円形の葉が一本の茎に左右に綺麗に並ぶ特徴があり、かわゆい。
葉柄の茎元に棘がある事から、針槐と。
落葉広葉樹の高木(20〜25m)。
古墳に付随する御勝山公園、御勝山南公園には、トイレが有りません。
西に直ぐ生野区役所が有ります。
こちらのご利用を。
6階で、9時からモーニング、お昼も頂けます。
1階左奥に「御勝山古墳と勝山遺跡」の展示コーナーがあります。
古代大阪を形造っていたのは上町台地(狭義)ですが、その南西側部分を我孫子台地と呼ばれています。
その先端部分が、ここ御勝山古墳、勝山遺跡にあたります。
台地は南へ広がり、JR阪和線東側、長居公園から我孫子山之内、大和川(江戸時代開削付替)を超え、堺三国ヶ丘へと続きます。
かの大坂の陣で徳川方の本陣になったために古墳としての原型はなくなって大いに破壊されたんやとまぁ当時は古墳ていうことはわかってなかったんやろけど…この古墳に葬られた人は災難なこっちゃな。
5世紀前半に築造されたとみられる全長約120m、かつては周濠を有した前方後円墳であったようです。
あったようですと言うのは変ですが、現状は後円部のみ現存しており前方部は完全消滅しています。
後円部も大阪冬の陣で徳川秀忠が本陣をかまえ、かなり削られて原型は留めていません。
埋葬施設は不明のようです。
後円部はフェンスに囲まれ墳丘には立ち入りできません。
見どころは少ない古墳かもしれないですが、開発が進んだ大阪市内に5世紀から残っている事が素晴らしいと感じました。
大阪の陣で徳川秀忠が陣を敷いた地で古墳でもありますが原型を留めていません。
道路で分断されてますがその道路の歩道橋から眺めて当時を偲ぶほかありません。
#四天王寺 伽藍中心の #転法輪石 春分・秋分の日の出・日の入の方位を指します。
東の日の出ライン上に #物部守屋祠。
さらに1.8キロ先に #御勝山古墳(後円部の墓域中心)さてこれは偶然でしょうか(検索:ものづくりとことだまの国2021年4月6日)
これといって何も無い。
綺麗に整備されています。
歴史を知りたいです。
大阪府立農学校跡の碑石は古墳上にあり、歩道橋から見えます。
標高14メートルの大阪5低い山の1つです。
関西にも岡山があると聞いてはるばる岡山から訪ねてみたのですが、あまり史跡という感じもなく、少し寂しかったです。
営業時間が記載されているが、古墳は柵で囲まれ自由に立ち入りできない。
営業時間は無意味なので、削除すべきだ。
勝山という町名の由来となった御勝山古墳は、中臣(藤原)氏の祖である大小橋命(おおおばせのみこと)の墓だといわれていますが、明らかではありません。
この古墳は、もとは南北約112m、東西約55m、高さ約8mの前方後円墳で、古墳時代中期の5世紀前半に造られたと推定され、葺石、周濠も確認されており、埴輪も出土しています。
江戸時代はじめまで「岡山」と呼ばれていましたが、大坂の陣で徳川秀忠の陣所となり、夏の陣で豊臣氏に勝利した際、戦勝の宴をおこなったことから御勝山と呼ばれるようになったといわれています。
明治23年、現在の大阪府立大学農学部の前身である大阪府農学校の建設の際に、前方部が開墾され、現在では勝山通と勝山南公園に整備されており、後円部を残すのみとなっています。
正直、何もない。
もとは岡山と呼ばれ、元和元(1615)年夏の陣の大坂落城のとき、徳川秀忠がここで戦勝の宴を催したことから御勝山の名で知られるようになりました。
南北112m、東西55m、高さ約8mの前方後円墳で現在は前方部が道路(勝山通)と勝山南公園になっており、後円部を残すのみです。
市内では、茶臼山古墳(天王寺区)と帝塚山古墳(住吉区)と並んで、重要な史跡の一つです。
中臣氏の祖『大小橋命(おおおはせのみこと)』の墓であるといわれていますが明らかではありません。
古墳らしさが感じられなかった...(汗)。
車椅子などでも中心部へ入れるのは良いかも。
ただし説明書きの近くまでは行けないけど...。
墳長約120mの前方後円墳、築造時期は古墳時代中期と推定。
古墳と断定できないとの見方もあるが、5世紀前半の遺物が出土している。
後円部は原形を留めているが、中央を道路が横切り、前方部は御勝山南公園として整備されている。
なお、縄文時代前半の土器片も見つかっており、勝山遺跡として名づけられた。
《独り言》このあたり、昔は河内湖の湖岸だったのかもしれない。
今とは想像もつかないような、のどかな風景が広がっていたんだろうなぁ。
コントラストがすごい。
前方後円墳を道路で切断、南側は公園になっています。
名前 |
御勝山古墳 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
06-6208-9166 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土] 24時間営業 [日] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
3.2 |
勝山通り沿いにある小高い丘に見えるのが御勝山古墳。
柵に囲われていて登れませんが、こんもりとした様は見られます。