中は中岡慎太郎ゆかりの品々で溢れています。
中岡記念館(中岡慎太郎生家) / / .
生家はきれいに建て替えてありました。
資料館は見応えはあるかな🤔この山里から日本を動かそうとする若者が出たのかと考えさせられました🙄
中岡慎太郎生家の玄関入口のところのピンポンするやつ(呼鈴?)を押すと、中岡慎太郎についてのガイドアナウンスが生家中に流れます。
家の中に入って見学することも可能で、昔の人の暮らしを感じることができます。
無料で見ることができます。
龍馬とは違い貧しい家の出で猪突猛進型の志士のイメージを持ってましたが、資料館を訪れ、文武両道に長けた裕福な(村の庄屋)家庭の長男であることを知りました(^_^;)庄屋の跡取りとしての地位や、家庭を捨ててまで維新の活動にのめり込んで行ったのは、日本を新しくして外国から守らなければいけないという純粋な気持ちからだったのでしょう。
中々充実してますよ~見れば結構感動しますよ~
訪れたのはもう7年も前のこと。
かねてより念願だったこの記念館を訪問。
きれいな記念館で展示もなかなかに見ごたえのあるものでした。
坂本龍馬ばかりが注目されて、こう言っては何だが中岡慎太郎はその陰に隠れがちの印象を受ける。
司馬遼太郎の罪(?)。
ワシが思うに慎太郎は、龍馬とは対照的に実直ではにかみ屋、しかし一本気で初志貫徹の男という印象を受ける人物である。
駆け引き無しだ。
それにしてもこの里山の風景を眺めていると、白川村時代の慎太郎はきっと優しい男だったんだろうなと思ってしまう。
はっきり言ってとてつもない田舎である。
ここで育った者が素朴でないわけがない。
それに引き換え龍馬は町場の商人の子、ズルさを身に着けていて当然だ。
訪れた当時のこと、入館したとたんに何か大勢の人に囲まれた。
なんとワシら(正確な順番では妻)が慎太郎館入場者20万人目だったのである。
賞状や記念品をいただき、TV局や新聞社からの取材なども受け、そりゃ大変な騒ぎでござった。
実に驚きました。
学芸員のかたの案内で、館内を廻ることが出来たのも幸運なことでした。
ワシも龍馬墓参をきっかけに全国歴史探訪の旅37年目であったが、これは忘れられない思い出になった次第です。
高知には3度ほど訪問して居るが、神奈川から高知は遠く、白川村はさらに遠く、なかなか再訪することが出来ずにいるが、必ず訪れたい記念館です。
皆さんにもお薦めします。
火曜日が休刊日とは知らずに来ました。
残念です。
もう来る事は無いでしょう。
館内は写真撮影禁止なので、資料や説明文は全部読みました。
2時間以上かかりますた。
中岡慎太郎が暮らした時の建物は転売され、田野町ヨケに改築後、明治40年(1907)の台風で流されました。
現在の建物は、中岡慎太郎没後100年祭にあわせて昭和42年(1967)11月17日に復元されたものである。
記念館は生家より少し奥に建てられている。
記念館より遊歩道が整備され便利も良い。
記念館は資料よりパネル展示の方が多く、高知市内に林立する坂本龍馬の関係の資料館などに比べれば印象が弱いが、中岡慎太郎の生まれた土地の風土や、ここから高知まで勉学に通う、かの志士の勤勉さや情熱が感じられて、訪れて損のない場所だと思う。
しかし…遠い(^_^)a
龍馬伝巡りの一つとして訪れました。
中岡慎太郎の生家を再現した建物。
平日の閉館間際に行ったが、掃除が行き届いており、私が尋ねると資料館の方からわざわざ人が来てくださって、案内してくださるなど、中岡慎太郎がいまも郷土の方に愛され大切にされていることを感じた。
ぜひ、また行きたいと思う。
再建された家屋ですが、中は中岡慎太郎ゆかりの品々で溢れています。
見学をお勧めします。
中岡慎太郎の産まれたところ意外と狭いけど。
名前 |
中岡記念館(中岡慎太郎生家) |
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ジャンル |
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電話番号 |
0887-38-2413 |
住所 |
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営業時間 |
[月水木金土日] 9:00~16:30 [火] 定休日 |
関連サイト | |
評価 |
4.1 |
20年前に一度伺って今回で二度目になります。
以前は道も整備されていなくて細い道をくねくねと上がってきた記憶が有ります。
今は専用道路が出来て随分便利になりましたね。
しかし屋敷等の記憶はあまりなくてまるで初めてきたような感覚です。
綺麗に整備されてて保存の状態も良いようですね。