明治40年に朝日神明社と社号を改めた、祭神は天照大...
ゆっくりと落ち着けます。
御守りもあるよ。
川岸町(南新田)の鎮守神の皇太神社(天保年間創建)と大阪三神名社の一つで、元中央区(旧東区)にあった朝日神明社を合祀し、明治40年に朝日神明社と社号を改めた、祭神は天照大御神。
境内社に春日社というのがあるのですがこちらの社、なんと春日大社本宮の旧社を移築したものです。
住宅地に佇む神社の中のさらに端の方に構えるにはもったいない謂れ。
私が住んでる、地域の、神社です。
神主さんは、サッカーが好きで、小学生を教えています。
結構いい選手が、教えがいいのか、出て来ています。
此花区でサッカーしてきたひとは、神主さんのことは、知らない人は、いないと思います。
夏には、祭りがあり、お神輿、3台が、町内を、子供たちと、周ります。
地元の鎮守様です。
宮司も優しく丁寧な対応をして下さります。
一度、訪れてみては?
地元密着型の神社。
夏祭りも規模が小さい。
名前 |
朝日神明社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6461-8238 |
住所 |
〒554-0022 大阪府大阪市此花区春日出中1丁目6−21 |
関連サイト |
https://osaka-jinjacho.jp/funai_jinja/dai7shibu/konohana-ku/07017asahishinmeisha.html |
評価 |
3.7 |
由緒當朝日神明社は、朝日・日中・夕日の浪速三神明の一つとして有名であった朝日宮(東区神崎町)を皇太神社(此花区川岸町)を合祀したものである。
朝日宮(逆櫓社)は朱雀天皇 の天慶年間(九四〇年頃)に平貞盛 の創建するところであって「承平・天慶の乱」の後、貞盛の戦勝を叡感された朱雀帝は当社の御神徳を称えられ、朝日宮という神號を賜わったという。
當社はまさに勅願の故もあって豊臣秀吉 の崇敬も厚く、年々米百俵を寄進された。
又、元和元年(一六一五年)の大阪夏の陣 に際し、真田幸村が当社に金色の采配を、奉納して出陣したという。
尚、源義経 が平家追討の途次朝日宮に戦勝の祈願をされた。
「一の谷」の合戦後、梶原景時 と史上有名な「逆櫓の論」があったが、義経は、當社に祈願をこめているので戦勝疑いなしと景時の論を退け平家を西海に討滅した。
此時より当社を一名逆櫓社ともいわれるようになったのである。
皇太神宮は古くより川岸町に在った。
この川岸町は、かつて南新田といわれたが伊勢神宮 の御分霊を乞い受け神詞を造って新田の鎮守の社として奉斎していた。
皇太神社は、明治四十年に朝日宮を合祀して、「朝日神明社」と社號を改めた。
しかし川岸町一帯は世の進むにつれ工場地として発展した為、昭和六年現在地に遷宮した。
第二次大戦中(一九四五年)惜しくも戦災を受け當社境内はもちろん春日出一帯は焼土と化したが戦後総代・氏子崇敬者諸氏の尽力によって本殿・幣殿・拝殿・そして手水舎を復興し、現在に至っている。
朝日神明社。