ここからは生活道路を歩いていきます。
良い雰囲気の場所。
紅葉がきれいです。
日置川を渡った場所にあります。
近露は、清流日置川沿の美しい集落でした。
行きやすい場所。
熊野古道で滝尻からここまでは古道らしい山道ですが、ここからは生活道路を歩いていきます。
トイレもあり休憩するのにもってこいですね。
良いところです。
横でチャーハン食べました。
現地にはかっては八幡神社(ご祭神:誉田別命)が祀られていた。
王子碑の文字について「近露王子之跡」と書かれた碑の文字は、記名がないけれども大本教主出口王仁三郎の筆跡である。
昭和八年(一九三三)三月二十一日この地に来て休息した際、当時の近野村長横矢球男の依頼で用紙に筆をふるったのである。
翌年一月それを彫りつけた王子碑が建立されたが、二年後の昭和十年十二月大本教は二回目のはげしい宗教弾圧をうけ、この碑も取り壊さねばならぬことになった。
その時横矢は、この文字は筆跡を自分が模写したものであると主張し、保存していた王仁三郎の書を警察に提出した上で、碑面に見られた「王仁」の書名を削り、そこに「横矢球男謹書」と彫り改めて、王子碑の撤去をまぬがれたという。
出口王仁三郎の筆跡の碑は全国に数多く建てられていたが、他はことごとく破壊され、辛うじて残ったのはここだけだとされている。
現在の境内には1934年(昭和9年)1月に建立された王子碑がある。
これは前年の3月20日にこの地を訪れた出口王仁三郎が、当時の村長・横矢球男の依頼に応じて筆をとったものを彫りつけて建立したものである。
しかし、1935年(昭和10年)の大本教弾圧に際して、取り壊しの危機にさらされた。
横矢は王仁の書を警察に提出する一方で、碑面の出口の署名を削りとって横矢のものに改彫し、この碑は模写に過ぎないとの主張を認めさせて難を逃れたものである。
そうした経緯から、大本教弾圧を逃れて残された出口の筆跡として貴重なものである。
名前 |
近露王子跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0739-26-9025 |
住所 |
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評価 |
4.5 |
熊野古道の歴史について書かれています。
大人数で移動していたというのは驚きました!