名前 |
源氏橋 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.5 |
平治元年(1159年)、源義朝は京都で平清盛に敗れると、勢力圏である関東へ逃れるべく東へ向かった。
途中で息子達とも散り散りになりながらも、何とか美濃国の青墓(現・大垣市)にまで辿り着く。
青墓では、源氏と姻戚関係を持つ大炊兼遠に匿われることになる。
しかしさらに東へ逃れるために、乳兄弟の鎌田政清の舅である長田忠致を頼って川を下ろうとした。
そこで義朝主従が柴舟に乗ったのが、この源氏橋のたもととされる。
現在では人が乗る船など浮かべることも出来ないような小川に、石造りの橋は架けられている。
そして源氏の名にふさわしく、その家紋である笹竜胆が橋に彫られている。