石碑と駒札が新調されていました。
2020年1月現在、ホテルの建設工事中だが、工事の囲い塀に京都市の説明板が貼り付けられている。
橋本左内寓居跡と福井藩邸跡の2枚。
幕末、橋本左内先生は福井藩主 松平慶永公の命を受け、京都で開国勅許と一橋慶喜公の将軍継嗣について朝廷工作をおこなった。
これが原因となり、後に安政の大獄で極刑に処せられることになる。
2020年2月に訪問した時は、ホテルザミツイキョウトの建築工事中で石碑と駒札はありませんでしたが2020年11月に再訪した所、石碑と駒札が新調されていました。
橋本左内(はしもとさない)は、幕末期の福井藩士です。
安政5年(1858年)2月から4月まで、油小路二条下る西側一帯にあった福井藩の藩邸に居住して活躍していました。
その石碑が「橋本左内寓居跡」として有ります。
名前 |
橋本左内寓居跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/na065.html |
評価 |
3.6 |
安政の大獄で死刑になりました。