油小路近くにある不動堂。
仕事帰りの夕方以降でもお不動さんをお参りできます。
気持ちを鎮めてくださるありがたい場所です。
新撰組ゆかりの地。
新撰組のまぼろしの屯所。
裏がバイクのコインパーキングになっています。
アパホテルと道祖神社の間にあるお堂です。
由緒書によると、弘法大師が東寺を嵯峨天皇から賜った際に、鬼門にあたるこの地に不動尊を祀ったのが由来とのことです。
不動堂明王院のすぐ右側に、道祖神社がありますが、別物です。
目立たない場所、路地に有るため知らない😱歩いて初めてこんなに所に❗車では通り過ぎて気付かず😢ずっと扉が閉まって居ると思いきや、月最後の日曜日開くと言う情報をホームページで知った😵知ったからにはその日に合わせて訪問したい。
ひっそりしていてもご利益有る雰囲気✨夜には🏮に灯りがともり引き寄せられお参りしたくなる。
ジャラジャラ鈴を鳴らし、手を合わせて居る間に扉が開き神主さんが出てこられるのかと期待したが…何もない日頃は期待出来なかった😢
弘法大師が東寺の鬼門の地に、自ら掘った不動明王の石仏を井戸に沈めてあるらしい。
この堂宇はそれを覆いかぶさるように建っているのだろう。
堀川塩小路を東に行き、ひとつ筋目を南に入って西側に道祖神社と並んであります。
御朱印は、第四日曜日の月例護摩供養の日のみ授与されています。
油小路近くにある不動堂。
京都駅からも徒歩圏内。
あまり観光客はいませんので、静かに参拝できました。
以外、ホームページより当堂の開基は今より一千年余前の弘仁十四年(八二三年)にさかのぼります。
弘法大師空海が嵯峨天皇より都南に東寺を賜り、東寺より見て鬼門(東北)にあたる、すなわち後年に亭子院(ていじのいん)がつくられたこの地をえらび、東寺守護のために一体の不動尊を安置されたのに由来します。
大師はこの地において一基の霊験あらたかな霊石を発見され、その石にみずから不動明王を彫刻してこれを石棺におさめ、さらに地中の井戸ふかくに安置なさいました。
寛平十一年(八九九年)宇多天皇の御代、宇多天皇は上皇となられたとき、京都西ノ洞院の宮殿東七条御所(亭子院)を離宮とされました。
当時の亭子院は東西が二町(約二二〇米)南北四町という広大なもので壮麗の妙をきわめておりました。
宇多天皇は亭子院をつくられるや、この霊験いやちこな井戸を勅命により封じ何人もうかがうことを許さずとして、霊石不動明王の号を賜って深く崇尊されたのです。
下って室町時代には応仁の兵火により亭子院はじめ堂宇も焼失しましたが、井底に安置された不動の霊像はそのままに、再び篤志家たちの手により堂宇が再建され現在に至っています。
現在の本堂は明和元年十一月(一七六四年)の建立となっております。
当堂の本尊である弘法大師の一刀三礼と伝える霊石不動明王は現在も井底に封じられたままにあるため、御前立として不動尊立像を安置してこれを拝することになっております。
世俗に高野山波切不動尊と、成田不動尊と並んで、空海作の三体不動尊と称されるものです。
霊験あらたかなお不動様が、秘仏として本堂下の井戸中にある石棺に納められているそうです。
街中の地域に根付いたお寺と見受けられました。
堀川通からヒョイッと一本入るだけで、突然あらわれる。
「ふどんどう」と言ったほうが通りがいいかも。
京都駅から近い場所にある、新選組の屯所があったらしいですが、不明です。
浄土宗西山派の寺院でもとは、蜜教寺院らしい、本尊は弘法大師が自ら彫刻したと言われる、不動明王立像で井戸の中に安置されて居ます。
YOUTUBEで動画の配信をしています、是非【サントん暮らし】で検索を!
名前 |
不動堂明王院 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-371-6583 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
観光向きではありませんが、いつでもお不動さんにお参りできます。
新選組縁の地です。
野良猫が数匹近くに住んでいますので、京都駅前で猫ちゃんに会える貴重な場所です。