この門は観光バスの出入り口でもある。
蛤御門の変で有名な門。
当時の弾痕が残っている。
幕末に想いを馳せる時のなった。
烏丸通に面してある高麗門型の筋鉄門が外郭九門の一つである「蛤御門」になります。
正式名称は「新在家御門(しんざいけごもん)」。
「蛤御門」と呼ばれる由縁は、御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」呼ばれる様になたった。
幕末の蛤御門の変で長州藩と江戸幕府軍との間で最激戦であったのが蛤御門周辺になります。
門の梁には当時の弾痕が残っているとのことですが弾痕跡の確認をし忘れたてしまった。
(´;ω;`)京都御苑には、外郭九門といわれる今出川御門、石薬師御門、清和院御門、寺町御門、堺町御門、下立売御門、蛤御門、中立売御門、乾御門の御門が9つあります。
また、今出川口、出水口、椹木口、間之町口、富小路口の五口の入り口があります。
名前の由来は多々ありますが、1番有名なのはいつもの閉じてるのに、家事の時に開いたから、まるで蛤のようだという事で蛤御門というようです。
1番見どころは長州藩vs会津藩、薩摩藩連合が戦った際に出来た銃痕です。
御所に向かって銃砲を放ったという事で長州藩は朝敵となりました。
みんなが触っているので色が変わっていて分かりやすいです。
京都御所にはいくつか門が残っていますが、そのうち、ホテル「京都ガーデンパレス」の真向かいにあるのが、この「蛤御門」です。
江戸末期の“禁門の変”の舞台となったこの門には、当時の鉄砲の弾丸の跡が残っています。
間近で歴史を感じられる、素晴らしい場所です。
蛤御門の変で有名。
門には銃弾の痕が残っています。
京都御苑の九門五口ある出入口の1つです。
歴史に出てくる有名な門です。
歴史を感じました😊禁門の変の跡か門に残っている事に感動😭この頃は薩摩と長州は敵だったんだよな~としみじみ考えてしまいました😅
この門は観光バスの出入り口でもある。
本来の正式名称は「新在家御門」。
門の形状は高麗門型の筋鉄門である。
御所の火災の際、滅多に開くことのなかった門がこの時だけは開いたため、固く閉じていたものが火にあぶられて開いたことをハマグリになぞらえて「蛤御門」という俗称が付けられたとされる。
この門での戦いが会津の最期の灯火やったんやなー😓この戦いで長州を京都政権から遠ざけることに成功したのもつかの間そのあとは坂道を転がり落ちるように悲劇が襲いまくるとは…ほんまにかわいそうです門扉や門柱にはその時の弾丸の痕なんかが残ってるけど会津の侍はこの痕をどういう気持ちで見るんやろな。
1864年、禁門の変(蛤御門の変)の鉄砲の弾の後が沢山残っています。
皆が触っていて弾痕の周辺の色が変わっているので、すぐに分かります。
三条大橋の擬宝珠に残っている寺田屋騒動(1864年)の新選組の刀傷も皆が触って、そこだけ磨かれています。
博物館でガラスケースに入っている物や、ロープが張られて近づけない物と違って実際に目の前で見て歴史に触れる事が出来る。
京都御苑の九禁門の中では、一番知名度が高いのではと勝手に思料する外郭門。
この門を守る会津藩を長州藩が攻めた歴史背景がその由縁だが、時は違い開かずの門が火事で開いたゆえ、蛤の命名らしい。
蛤、BBQで食べたいものだ🤤。
また、苑外から向かって右側の門柱下部に銃痕らしきものがあるが、件の変での銃痕は門の梁部分にあるとも…。
見上げて凝視するが、よくわからない😓。
また、各門を巡ってみたいが、如何せん京都御苑は広すぎる😓。
名前 |
蛤御門 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
〒602-0881 京都府京都市上京区烏丸通下長者町上ル元浄花院町龍前町605 |
関連サイト |
https://www.env.go.jp/garden/kyotogyoen/2_guide/map2_hamaguri.html |
評価 |
4.4 |
京都御所への参拝時に訪問しました。
蛤御門の変で有名なこの門。
長州藩が放った銃痕が今も残り、日本の歴史を感じることができます。