築造時期は4世紀末~5世紀初頭と推定。
日本海側最大級古墳のひとつ。
少し形が分かりにくくなっていますがそのスケール感には圧倒されます。
とても見晴らしがよく立岩がよく見えます。
古代では入り江になり沢山の人々が住んでいたのでしょうか?
竹野神社と資料館まで来てたのに気付かず通過してしまった。
アカン!このままではいけない。
また来るぞ!反省で、2年前のリベンジで又来た。
古代の里で草刈りする人に登り口をお聞きしたら自販機のある酒屋の横を左にと教えてくれた。
然し資料館駐車場には竹野神社からとある。
竹野神社も素敵であるので参拝がてら神社に入り、参拝後コース通りに登ぼったが結局は酒屋の横を上がる方が楽である。
ある意味では神社に挨拶してから登る事を推奨してる意味があるのかなぁ?丹後地方旅行中で後期高齢者には楽な方が良かった。
頂上の景色は素晴らしく立岩も見れる。
普通であれば楽なコースだが身体極まって息絶え絶えとは情けない。
日本海側で最大級の前方後円墳です。
竹野神社側に登り口があり、前方部を上り後円部の頂上に立つことができます。
そこからは、日本海を望むことができます。
葺石に覆われていたとのことなので、かつては潟湖であり港湾として機能したであろう竹野川河口部からは、壮大な古墳の姿が見られたのではないでしょうか。
けっこう楽に上がれますスマホで12階分?
竹野神社の横から登っていけます。
どこからどこまでが古墳なのかわかりにくいところもありますが、時代的にも役割的にも、能登の雨の宮古墳群を彷彿とさせます。
古代の丹後王国の時代、竹野川流域の各所が阿蘇海へと抜ける重要な物流戦略拠点だったことを伺うことができます。
日本海で最大1級の古墳。
神明山古墳(しんめいやまこふん)墳丘長190mの前方後円墳、築造時期は4世紀末~5世紀初頭と推定。
国指定史跡。
古墳へは竹野神社の脇道から登ることができる。
古代の海岸線と平行に築造されており、海上からは古墳一面に張られた葺石を目印に港が確認できたはずで、当時は一種のランドマーク的な役割があったのかもしれない。
以下、解説板より。
「この古墳は全長180mをこえる丹後地方では最大級の前方後円墳です。
竹野川流域の平野や、遠く日本海を見下ろす丘の上に築かれたこの古墳は、今から約1600年前にこの地方を支配していた豪族の墓です。
古墳には埴輪が並べられ、斜面は葺石と呼ばれる河原石で飾られていました。
竪穴式石室と呼ばれる死者を埋葬した部分はすでに破壊されていますが、 碧玉製の盒子など当時の豪族の権力を示すような遺物が出土しています。
この古墳は大正12年3月7日、史跡に指定されました。
」
名前 |
神明山古墳 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kyotango.lg.jp/top/soshiki/kyoikuiinkai/bunkazaihogo/3/1/2/3302.html |
評価 |
3.8 |
日本海三大古墳(蛭子山古墳、網野銚子山古墳)と丹後を代表する古墳の一つで4世紀末-5世紀初頭と3古墳では最後に築かれています。
大和の佐紀盾列古墳群が築かれた時期に支配地域に築かれた巨大古墳で山陰の拠点として丹後地方の潟湖を港とした日本海交易を展開した事が示唆されています。
古墳の主体部は未調査です。
後世に経塚として利用され経筒・銅鏡が出土していて近くの「丹後古代の里資料館」に展示されています。
(土師器なども)垂仁天皇の皇后(日葉酢媛命)は丹後出身など大和朝廷ゆかりの地だけに埋葬者が気になる所です。