那富山(なほやま)古墳。
2020.02.04訪問大黒ヶ芝古墳は那富山墓と言う名称で宮内庁に管理されています。
聖武天皇の皇子の墓なのですが、聖武天皇の皇子の名前については不明で、宮内庁では“御名不詳”としています。
基皇子とする説もありますが、これは室町時代に天皇の系図をまとめた『本朝皇胤紹運録』の中で“諱基王”と記されていたことによりますが、これは“諱某王”とされていたものを誤って“諱基王”としてしまったという説があります。
大黒ヶ芝古墳(那富山墓)に続く道はコンクリートで簡易舗装されている道で、途中からは獣道になっています。
獣道は歩いてすぐに柵(コンクリート柱と有刺鉄線)で遮られてしまいます。
拝所まで行くことができません。
那富山(なほやま)古墳。
この辺りは奈保山と呼ばれています。
聖武天皇の夭折した初の皇子、基王(もといおう)の墓と推定されているそうです。
基王は一歳にもならなかったといいます。
門は閉ざされており、お参りは出来ません。
名前 |
那富山墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
2.7 |
隼人石見たかったのに、近づくことも出来なかった。