常盤橋門跡の石碑が建っています。
2021年5月10日に、東日本大震災で被災して修復作業が行われていた常磐橋が再開すると言うので早速行ってきた。
江戸時代初期にかけられたこの常磐橋は徒歩でのみ渡ることができる。
ほかに外堀として機能してきた日本橋川を渡る「ときわばし」は、中学生の時に個人的に思い出深い、漢字の異なる常盤橋と、バブル期につくられた新常磐橋の三つある。
常盤橋公園には江戸城の枡形も残り、渋沢栄一の像がある。
これは氏が、創始期に大きな役割を果たした日本銀行があるから。
訪れるならば、日本銀行の旧館も訪れるとよいだろう。
写真は、すでにあげたので、文章のみで失礼します。
常盤橋門跡の石碑が建っています。
向かいには、2021年5月に東日本大震災の被害から復旧した常盤橋があります。
見附が復元されると良いよね❗
架橋されている橋は「常磐橋」ですが、江戸城遺構としては「常盤橋門跡」が正しいです。
盤を磐としたのは、皿だと割れるから石としたとのこと。
いずれもトキワ(常磐/常盤)と訓むことからみたいです。
近くには渋沢さんの銅像もあり今一番の観光スポット。
かつては江戸城の門の一つであったようで、石垣が残っていてる。
常磐橋のたもとに碑が建っている。
ブラタモリの東京駅編で取り上げられていました!まだ橋は完成前で渡れないみたいですが、ぜひ行ってみたいです♪
2011の東日本大震災の被災により改修中。
明治10年に江戸城小石川橋門の石垣などから建立された眼鏡橋。
昭和3年国史跡「常磐橋門跡」指定。
昭和8年には橋のたもとが渋沢青淵(栄一)公園として整備されています。
常盤橋門は、1629年に東北の諸侯により築造されました。
常盤橋門の前に架かっていた常盤橋は、はじめ、1590年に橋が架けられ、慶長年間には浅草口と呼ばれ、外郭の正面であることから大手口とも言われ、当時江戸最大の橋であったことから大橋とも呼ばれました。
しかし、橋の名前を改名するよう幕府から町年寄の樽屋に下命がありました。
そこで、樽屋は、樽屋に寄宿していた浪人から提案された金葉和歌集の大夫典侍の一首からとった「常盤橋」の名前を具申しました。
それが了承されて、この橋は常磐橋となったとのことです。
命名の時、皿は割れるので石に変えたと伝えられています。
名前 |
常盤橋御門跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/kunibunkazai/041221.html |
評価 |
4.1 |
石垣など歴史を感じる光景です。
損傷などで通行禁止の期間もあったようですが、復旧工事が終了して橋も渡れるようになっています。