予約が必要で急な依頼はできないようです。
宗教法人 大衡八幡神社 / / / .
どんと祭で初めて行きましたお社も大きくないのですが 全体の雰囲気が最高でした。
御朱印頂けます。
敷地や駐車場は広くはありませんが、雰囲気は良かったです。
桜の時期は綺麗なのでオススメです。
小ぢんまりとしてますが整備もいきとどき気持ち良く参拝させて頂きました。
駐車場近くに社務所が有りましたので、次回は御朱印を拝領して貰える時間に行きたいと思います。
御朱印と菓子までいただきましてありがとうございました。
蝉がたくさん飛んでました♪
御来社ありがとうございます。
宮司より厚く御礼申し上げます。
国道沿いにあり何度も近くを通っていましたが、雪の中今回が初めての参拝になりました。
御朱印の方も気持ちを込めて書いて頂きました!
八幡神社(別名:塩浪八幡神社、大衡八幡神社)の御祭神「八幡大神」は、天文13年(1544年)大崎氏の家臣、黒川下総守景氏の二男である大衡治部大輔宗氏(おおひらじぶだいすけむねうじ)の居城(塩浪館又は越路館)として築城の時、城の鎮守として本丸に奉安された。
天正18年(1590年)大衡治部大輔宗氏の子、大衡氏胤が城主の時、豊臣秀吉の奥州仕置きによって伊達家の所領となり、廃城した。
御祭神は、大衡村に在郷屋敷を持つ伊達家中達により、現在の社地に遷座されたといわれる。
その後、伊達家藩主忠宗に見出された祈祷僧で、本山派に属する良覚院修験快真の嫡子有真が、戸田定隆(俗姓戸田長五郎)として19歳で還俗し、寛永8年(1631年)12月大衡村竹ノ内に屋敷を構え、松本屋敷の良覚院修験三明院昌元(昌源)と共に村の神社として護持された。
元禄10年(1697年)戸田長五郎勘太郎氏は、天照大神・天之御中主神(妙見菩薩)・白山比咩大神(白山権見)の三神体を奉安と土地350文を寄進すると共に、別当寺の三明院昌元(社家の先祖)を初代別当にした。
安永年中(1772年~1780年)頃、大衡村は日照り、悪川(善川)の氾濫、疫病等により人心の乱れを鎮めるため、三明院光秀別当が伊勢参りをしたが、道中疫病で倒れ、文政元年(1818年)まで無住となり、ご神体は境内地の地主横橋忠三郎が保管された。
文政元年(1818年)八幡宮は三明院正善が再興し、文政6年(1823年)再造八幡宮本地供すとの記録があり、現在の神殿の形状に遷宮された。
明治2年(1869年)年12月、明治政府に三明院元諄(櫻木元諄)が八幡神社の宮司の復飾願により、初代宮司に就任し、明治6年(1873年)3月大衡村の村社に列せられた。
明治17年、四村(駒場村、大森村、大瓜村、奥田村)の連合村となった大衡村の村社に列せられ、明治41年12月21日に旧大衡村の9社を別宮・相殿神とし、現在に至る。
主祭神:応神天皇 (八幡大菩薩)、天之御中主大神 (妙見菩薩)、白山比咩大神 (白山権現)、天照大御神境内社:金谷神明社例祭日:4月15日(春季例大祭)、9月15日(秋季例大祭、子供神輿渡御)、1月1日元旦(願い花火打上奉納)
親身になってご祈祷して頂きました。
誰もいなくて御朱印がもらえず残念…
一応、お祓いなどやってくれるようですが、予約が必要で急な依頼はできないようです。
犬の日参りやお宮参りはもっと大きな神社に行くのがオススメ。
4号線沿いにあって、車で走ってるとすぐ目立ちます。
交通安全や家内安全などお祓いもしてくれる所ですね。
パワーを頂いてて来ました✨境内の周りは季節の花が次々咲くように花壇が手入れされてました🌼宮司さんがお出かけしちゃったので、御朱印は次回になってしまいました(^_^;)ユリかアジサイが咲く頃また行こうと思ってます(*^^*)
来る人皆を歓迎したいという気持ち、バシバシ伝わってきます。
ちょっと今までにないスタイルで驚きました。
車で少し通り過ぎてしまったのですが、そちら側でもとても小刻みにわかりやすい道案内の看板。
どこまでも親切丁寧な対応に感激です。
境内もとても綺麗にされておりますが、裏の鳥居から入った、丸太の並ぶ風景がとてものどかで綺麗でした。
ぜひそちらも見てほしいです。
素敵なご朱印もいただけました。
名前 |
宗教法人 大衡八幡神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
090-3318-7329 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 9:00~17:00 |
関連サイト | |
評価 |
4.0 |
参拝させて頂きました。
御朱印を頂こうかと訪ねたところ、車はありましたがいらっしゃらなかったようです。
室外機の上にさむそうにして猫がおりました。
少し癒やされました。