母恩寺石標。
地下鉄都島の西、市立総合医療センター前の交差点にたつ。
母恩寺は、ここから北へ5分、今は住宅地のなかの小寺院で、山門は柵がされ、おまいりはできない。
後白河法皇は、しばしば四天王寺にて、亀井水を頭にいただく、灌頂会をもよおした。
四天王寺や住吉大社参詣のお旅所も兼ねてであろう、今の都島に生母待賢門院を弔う大寺院を建立された。
過日の面影はない。
旧沢上江村(滓上江村とも書く)の地にある浄土宗の尼寺で、寺伝によれば仁安3年(1168)に後白河法皇が生母待賢門院の菩提を弔うために創建し、母后報恩の意を籠めて寺号としたといわれています。
もとは数箇所の荘園と大伽藍を有する大きな寺院でしたが、度重なる洪水や兵火に罹り衰微したと伝えられています。
元禄14年(1701)刊の『摂陽群談』によれば、本尊の阿弥陀仏は恵心僧都の作といい、またこの寺の尼僧が作る美しい綿帽子は「滓上江の綿帽子」として名高く、名物になっていたといわれています。
名前 |
母恩寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
06-6921-2261 |
住所 |
〒534-0021 大阪府大阪市都島区都島本通1丁目20−22 |
関連サイト |
https://www.city.osaka.lg.jp/miyakojima/page/0000016853.html |
評価 |
3.4 |
大阪総合医療センターの前を少し入った所に有りますが都島神社の後ろにありますが最初に見えたのは新しい墓でした、この近くの会社で大きなブタを飼ってい最初は太った犬かと思うたが間違いなく豚です、東洋商事株式会の看板が出ている、犬小屋の様な所で寝ているのを見た?