継体天皇の河内樟葉宮の伝承地とされる。
継体天皇樟葉宮跡伝承地 / / .
継体天皇は近江で生まれて越前を治めてましたが武烈天皇が亡くなったので、大和の豪族に請われて大和に入ってきたと言います。
実際にはすんなり大和入り出来ず、仕方なく樟葉で大王に即位して、20年くらいたってから大和に入れたそうです。
その心境はいかなるものだったでしょう。
雰囲気が良い。
枚方八景のひとつ。
継体天皇。
今城塚古墳、太田茶臼山古墳と高槻、茨木でもよく聞かれる。
閑静な住宅地の中に、歴史的な場所があります。
その時代のこの場所は、どんな景色だったんだろうかな。
第26代天皇、継体天皇が即位された場所だそうです。
依然は木々に囲まれた爽やかな気が溢れる感じの場所でしたが、2018年の台風の影響で倒された周りの木々の片付けがまだまだ終わらないようで痛々しい感じになっています。
さらに半倒れの木々は弱っていってるようで何かの拍子で倒れるようです。
確か昨年は大丈夫だった貴船神社の末社社殿が、なぎ倒された木に押し潰されそうになっていました。
被害は甚大です。
ボランティアで片付けとか募るころがあれば参加したいところです。
住宅街の中にある歴史的な所でした。
静かな所です。
近くに鏡池伝池もあります。
とても神々しい雰囲気がありますが、最近の台風で倒木も有り少し手入れが必要。
でもあまり観光化してほしくない場所。
継体天皇の河内樟葉宮の伝承地とされる。
武烈天皇が後継者を定めないまま崩御、政敵を滅ぼし続けたもんだから、皇位継承者がいなくなってしまい、やむなく数代遡って今の福井県から応神天皇の5世孫である男大迹王(おおどおう)を招致し、この地で即位したと言われる。
しかし、招致から奈良の都に入るまで30年近く各地を転々としているのは、いかにも異常事態ではある。
名前 |
継体天皇樟葉宮跡伝承地 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.1 |
近江高島出身の王族で近江、越前、尾張を勢力圏に収め朝鮮半島とも交流があった大王(おおきみ)。
スカウトされてまず拠点を置いたのが、ここ「樟葉宮(楠葉)」。
桓武天皇が父の光仁天皇を祀った交野天神社(かたのてんじんしゃ)境内にあります。
拝殿の右側から探検する気分で行けますので面白い!陵墓は「今城塚古墳(高槻市)」。
陵墓は宮内庁指定になっていないので入れますよ!博物館も隣にありますので合わせて行ってみてください!!