2018.2.17 参拝いたしました。
見事な火祭りでした!美郷町から日向市などをめぐる師走祭り。
神社前の迎え火が印象に残ります。
日をまたいだ神楽奉納もよかったです。
養老2年(718年)創建と伝えられる古い神社です。
主祭神 大山祇命(おおやまつみのみこと)の他、品陀和気命(ほんだわけのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)、速玉男命(はやたまのおのみこと)、事解男命(ことさかのおのみこと)、菅原道真公(すがわらのみちざねこう)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、禎嘉王(ていかおう)といった神々が合祀されています。
なかでも禎嘉王は天平勝宝8歳(756年)、約100年前に滅んだはずの百済から逃れてきて神門に住んだと伝えられています。
その後追手をかけられた王と比木から駆けつけた王子との対面が師走祭りの元になっているようです。
木城町の比木神社に祀られた福智王(兄王子)の一行が、戦死した華智王(弟王子)を祀る伊佐賀神社(日向市東郷町下三ケ)で父禎嘉王の一行と対面し、神門まで同行してのちに帰るまでが2泊3日で行われるという神事で、昔は9泊10日で行われていたそうです。
神門神社みかどじんじゃ宮崎県東臼杵郡美郷町南郷神門本村祭神大山祇神百済の禎嘉王倉稲魂命品陀和気命(応神天皇)半島の亡命者が祭神となっています「続日本紀」では759年条に半島の混乱で来日した窮民に対して食料援助を命じています。
平日だったので誰もいませんでした。
厳かな感じの神社です。
御朱印は西の正倉院の受付で、書き置きの物を頂けます。
毎年、師走祭りを撮影させて頂いています❗
厳かな神社でした。
平成30年8月10日参拝御朱印あり(墨字はスタンプ。
西の正倉院の受付で授与)祭神:大山祇命、品陀和気命、伊弉冉命、速玉男命、事解男命、菅原道真公、倉稲魂命、禎嘉王旧社格:郷社養老二年(718年)に創建されたとされる神社。
祭神の一柱として百済から日本に逃れてきた禎嘉王を合祀している。
そのため、禎嘉王によって伝えられた宝物等が社宝として宮崎県指定文化財となっているほか、本殿が国指定重要文化財となっている。
2018.2.17 参拝いたしました。
人が居ないようで御朱印はいただけませんでした。
神門神社【師走祭の概要】2014年俳句の吟行で訪れた時の様子を参考にあげておきます。
日程などは三郷町へお問い合わせください。
まるで大火事のような迎え火の写真はその時のものです。
-------------------------西暦660年、朝鮮半島の百済(くだら)が、唐・白羅(しらぎ)連合軍に攻められて滅亡。
多くの百済人が優れた文化を持って日本に渡来しました。
近畿を中心に「百済」という地名が各地に残っています。
その後の動乱でさらに九州を目指した人々もいました。
宮崎県の海岸についた百済王族の禎嘉王は南郷村(現在は美郷町南郷区)、王子の福智王は隣村の木城町には住み、それぞ「神門(みかど)神社」と「比木(ひき)神社」に祀られたとつたえられています。
千年以上前から毎年旧暦の師走に、氏子に奉じられた王子のご神体(袋神、花笠)が、23里(約90キロ)離れた父王の神社に参る祭が行われてきました。
昭和10年代までは往復九泊十日かけて巡行しましたが、いまは二泊三日かけて氏子たちが行列をなして運びます。
24日の比木神社~神門神社の巡行を「のぼりまし」、25日を「中の日」、26日の神門神社~比木神社の巡行を「くだりまし」と呼び、巡行の全行程合わせて三十あまりの祭事が行われます。
今回、時間的に見られそうな祭事は、おおよそ次のようなものでした。
●24日(のぼりまし)15:50 塚の原古墳(王の墓と伝えられる)で、神門の村人の出迎えを受け、式典・神楽・直会のあと、敵の目をくらますためとの故事のある野焼の炎の中を進む。
17:30 小丸川で神門神社を遥拝しながらみそぎ。
17:55 袋神の笠取り。
18:00 神門の地主権現にご挨拶。
30数基の迎火の中を神門神社に向かい、鳥居前でお着きの儀。
●25日(中の日)10:30 ご神体お衣替え12:00 夜神楽の道具づくり15:00 ドンタロ祭(王を助けた地元豪族へのお礼神事)16:00 洗濯行事・川原の野焼・神職氏子らが川原の石を二個づつ拾い石塚へ運ぶ。
19:00~24:00 夜神楽(高鍋神楽)18番●26日(くだりまし)10:30 お別れ式(神前で魚の塩焼を回して食う)11:00 へグロ塗り(比木神社の氏子が顔に竈の墨を塗る=別れの悲しみを隠すため)11:30 最後の式典の後、袋神がご出発。
婦人たちが「ショウケ」(笊)など炊事道具を振りながら、よこに横に3歩づつ歩き、「オサラバー」と声を上げて見送る。
【南郷村】旧南郷村の神門神社には古来、さまざまの宝物が伝えられています。
たとえば銅鏡の中には、奈良正倉院の御物と同じ鋳型から鋳造されたものがあります。
千本を超す鉾などもふくめ、これらの宝物を保管するため、奈良の正倉院と大きさも工法も全く同じ建物が作られており「西の正倉院」と呼ばれています。
また南郷地区には、百済の首都「扶余(ふよ)」の王宮の客舎を模した建物や韓国風の彩色を施した建物があり、土地の小学校では韓国語の授業もあるなど、韓国との交流も盛んです。
地域内の交通標識にはハングルが添えられています。
今回の祭には、福岡駐在の韓国公使一行も見え南郷旅館に宿泊します。
南郷地区内、西の正倉院なども、祭事の合間を縫って見たいと思っています。
感謝です。
( =^ω^)
個人的に大好き。
静かで落ち着く。
名前 |
神門(みかど)神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0982-59-0556 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.0 |
西の正倉院の奥に1000年以前から師走祭りがあり神社の趣が少しちがうんですね。