秀吉の三木城攻めの時は櫛橋左京亮伊定は志方城で籠城...
曲輪と土塁が残っています。
現地にある説明では室町時代に建築された丘城跡とされています。
現在は城山グランド(公園)として利用されています。
城としての面影は、稲荷神社が少し小高い場所に建てられており、その部分が櫓跡とされているのと、公園の北側に土塁跡・土塁の東側に堀跡があり、城の防衛策を見ることが出来ると説明はありますが、公園を出て周辺を散策すると「おそらくこれかな」と思える場所は見ることが出来ます。
車などで訪れた場合、公園に駐車できる場所はありませんが、県道23号線の交差点「王子上溝」付近から舗装された農道が走っており公園の近くまで行くことが出来るので脇に止めることは可能です。
名前 |
葉多城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.3 |
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葉多城 城主は赤松氏の家臣櫛橋氏櫛橋氏は加古川の志方城、そして小野の葉多の地にも城を構えていたが、秀吉の三木城攻めの時は櫛橋左京亮伊定は志方城で籠城するが三木城落城とともに滅亡する。