宮崎にも前方後円墳があったとは。
現在の児湯郡新富町西部の一ツ瀬川左岸の標高約70~90mの台地上、東西約5㎞・南北約2㎞の広範囲に分布している。
古墳群は、祇園原・塚原・石船・山之坊の4つの古墳群(支群)から構成され、前方後円墳22基・円墳174基・方墳1基の計197基が現存しているが、1939 (昭和14)年に削平された前方後円墳3基をはじめ、後世に削平された古墳が数多く、200基以上の古墳が存在していたと推測されている。
古墳群は、古墳時代前期段階の4世紀代から造営されるが、一ツ瀬川対岸台地上の西都原古墳群において古墳の造営が低調となる古墳時代後期段階の6世紀代に多くの前方後円墳を造営する。
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新田原古墳群とは祇園原、山之坊、石船、塚原の四地区に所在する古墳群の総称である。
全体では前方後円墳25基を含む207基であり、西都原に次ぐ規模である。
古墳時代後期に築造された奥津城である。
特に祇園原に150余基集中している。
良いところだから絶対おいで。
名前 |
新田原古墳群 |
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ジャンル |
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住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mk-heritage/burialmounds/summary_nyutabaru.html |
評価 |
3.9 |
宮崎にも前方後円墳があったとは。
全貌が見渡せる。
古墳好きなら一見の価値あり。