神聖な場所が国道横に、びっくり。
ニニギノミコト御陵墓参考地 / / .
北川陵墓天照大御神瓊瓊杵尊神々が宿る場所でした。
天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)は天照大神の孫(天孫)で、神武天皇の曾祖父に当たります。
その御陵墓「可愛山陵(えのみささぎ)」についてはその実在性を含めて諸説ありますが、明治7年(1874年)政府により鹿児島県薩摩川内市宮内町の神亀山に治定されています。
これに反発する声を受けて明治28年(1895年)には北川町俵野の陵を御陵伝承地に、西都市の男狭穂塚を御陵参考地に定めています。
(翌年の明治29年とする資料もあり)大正15年(1926年)宮内庁により北川陵墓参考地に治定されました。
天照大神の孫の墓とされている。
仁徳天皇陵には比べ物にならない程、厳かな終焉の地であり参考地?何を持って神話の世界の話を宮内庁はここを終焉の地として認定したかが不明、神武天皇でさえ紀元前660年以上前なのに。
資料館より徒歩5分程度。
山道を少し登ったところにあります。
神聖な雰囲気のあるパワースポットだと思います。
正直,何かよく分かりにくいけど天照大神の天孫らしいですね来ないと分からない事ってありますね^_^;西郷隆盛宿陣跡資料館に行ったら上にあるんで少し足を延ばして見学ですね。
昭和初期の詩人 野口雨情が「こころして吹け朝風 夜風ここは日向の可愛御陵」とうたった天皇家の祖である天孫ニニギノミコトの麓に御陵墓。
すぐ横に西南戦争で西郷隆盛が山縣有朋率いる新政府軍と相対し、作戦会議をした場所が。
息子の菊次郎に戦線を離脱するように諭した場所でもあり、ここで命を永らえたお陰で菊次郎はその後、台湾の庁長まで勤めることになります。
政府軍が、天皇家の祖先神である天孫ニニギノミコト御陵墓に向けて鉄砲や大砲を打つことはできないと考え、西郷軍はひとときの安息を得たと言われています。
歴史マニアにはたまらないエピソード満載の土地です。
神聖な場所が国道横に、びっくり。
宮内省の調査により明治29年、宮崎県東臼杵郡北川町の可愛岳(えのだけ)山麓の古墳を「可愛山陵伝承地」とした。
宮内省がどんな調査をしたかは判らぬが・・・うーむ不思議だがな。
小さな円墳が目の前にある。
よく見ると主体部が抜かれているように見える。
治定するならそれらしくすればいいのだがな。
ひ孫の吾平山上陵の方が凄いのだがな。
取って付けたような像なんか要らない。
参りに来た個人個人の想いで良いのではないかな。
下手に漫画チックなこともやめてもらいたいな。
古事記にはこのような記事はない。
日本書紀にあっては「日向の可愛の山の陵に葬ったと」あるのだが治定はしていない。
西都原古墳群中の男狭穂塚も参考地等としていることを付け加えておこう。
静かできれいに整備されてます。
アマテラス多神の孫、ニニギノミコトの終焉の地。
こんもりと盛られた小山に木製の門を建てて祀られている。
綺麗に整備されているが、特に何もない。
名前 |
ニニギノミコト御陵墓参考地 |
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ジャンル |
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電話番号 |
075-601-1863 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
神聖なる地かな。
ここがあったから西郷どんが最後の宿営地に選んだとか選んでないとか。