名前 |
飯田城跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.0 |
飯田城は、定木に所在していたというが、その遺構を確認することはできない。
飯田城の城主で飯田主水正は、貞治元年(正平十七、1362)に細川頼之が讃岐の宇多津に上陸した時、一宮の大宮司らと共に馳せ参じて陣に入った。
その後も、頼之に従って伊予の河野氏討伐に加わっている。
永正五年(1508)には飯田右衛門督が香西氏に従って山田郡の三谷城攻めに参加した。
また、天正十年(1582)、土佐の長宗我部元親が香西氏を攻めた時には、香西氏にくみして伊勢の馬場で奮戦するなど、その重鎮としての働きをしている。
天正十五年(1587)、生駒親正が讃岐の領主になった時には飯田伝右衛門が城主で、200石の禄で召し抱えられている。
~立て看板より~