秀吉の出世街道竹鼻城水攻めに隠れた秘話が残る中世の...
秀吉の出世街道竹鼻城水攻めに隠れた秘話が残る中世の歴史の一里塚。
現代に蘇る赤松が只今生育中。
ボランティアの方がこまめに草刈りして街道からも堤防からも入れる様に整備されてまことしやかに囁かれる祟りの心配はありませんね。
線香と花が絶える事なく参拝者を四季折々の花や鳥達の囀ずりが出迎えてくれます。
水田の中にぽつんと小さな丘が目を引く。
竹鼻城主不破源六の妻が埋葬されている場所のようです。
そこに家臣の三七が一本松を植えたものを三七の松と呼んだようで、その松が大正時代に枯死したため、「三七松の遺跡」と呼ばれる史跡(原木が枯死後、若木を植えたものの、その若木も枯死)になっている模様。
小牧、長久手の戦の知られざる悲劇があった場所です、不破広綱の妻の無念が伝説として残っています豊臣秀吉が竹ヶ鼻城を水攻めにしたとき、竹ヶ鼻城主不破広綱は奥方の実父である八神城主毛利掃部介に援軍を要請したが叶わず、水の満ちくる中、夫婦離婚の酒宴が執り行われた離縁された奥方は、泣く泣く故郷の八神城に向かう途中、石田と八神の村境まで来ると「一度嫁いだ女が、どうして帰れましょう」と、短刀で自害お供の三七はこの地に遺体を埋葬し墓印に一本の稚松を植えると自分の自刃して果てたこの松はやがて馬子唄にも「石田・八神の三七松は天でおそれて地でひらく」と歌われ枝を折ると血がにじみ、松にふれると奇病にかかるおそろしい松となったという。
名前 |
三七松の遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.2 |
11/19訪問田畑の中にある。